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2012年10月4日木曜日

昨晩の夢。「勝手な思い込み(決めつけ)」

昨晩、瞑想してたら、「繋がった!」と透き通るような男性の声。
何が!?もしもーし?


それと関係してるかどうかは分かりませんが、昨晩見た夢です。 

昨晩の夢。
どこかの都会の道路でデモをしてるようだ。
何に反対してるデモなのか不明。
すると、デモの後ろのほうから小型タンクローリーが突っ込んでくる。
デモする人達のいない道路側だから誰も怪我はしていないが、小型タンクローリーはドリフトしながら、片側2車線を塞ぐようにSTOPする。
ここは危ないから離れたほうがいいという予感。。。

ちょうど、パトカーと警官2人もいる場所。
出て来た運転手は何やら警官に文句を言ってる。
そして誰かが小型タンクローリーの窓を割った。
僕は何故か他の人からバットを手渡された。短めのバット。
ん?なにこれ?あ!?これって、、、、まずいんじゃ。。。
そんな夢。

朝起きてから、この夢にフォーカスしますと、データが降りてきました。
この夢自体がもらった情報(データ)だった感じです。
ヘミシンクでいうところの「ロート」ですね。
この短めのバットというのが、真実と異なる状況証拠となってしまうという意味合いのようです。誰が見ても、そう思うでしょうけど(笑)。

「状況証拠だけで勝手な思い込み(決めつけ)をして冤罪を引き起こす。」

これは世間一般的に言われる冤罪もそうですけど、僕らの生活にも密接に関わってきます。
ゲリー・ボーネルさんが言うところの「ジャッジメント」
葛藤を手放すためにはジャッジメントをしないことだと、よく言ってるアレですね。
ホントにその通りだと思います。

「ジャッジメント」は日本語では「判断」ですが、「判断」だと意味合いとしては弱い気がします。
ここは「判決」と捉えたほうが良いように思います。
「裁き」「決めつけ」でもいいかも知れません。

人や物事に対して、「決めつけ」をするわけですね。
「決めつけ」だから、それは変わらないわけです。最終判決ですから。
でも、人も物事も変化しますし、「決めつけ」など愚の骨頂ですし、その「決めつけ」自体が一つの側面しか見ていないのに「決めつけ」てしまうわけです。

「いやいや、多くの側面を見て判断して言ってるんですよ!」
と言う人もいるかもしれない。

例えば、あなたにとってのAさんの「多くの側面」というのは、Aさんにとってはほんの一部でしか無いのです。
Aさんのことを一番よく分かってるのは、Aさんです。
心の歪みが無ければ。
エゴによる詭弁でなければね。
(エゴによる詭弁が多かったりするのですが、その話をしだすと話が脱線するので触れません。「決めつけ(判決)」とは関係ないので。)

別の例えをします。
ツイッターでAさんのツイートを見たあなたは、Aさんに対して「決めつけ(判決)」をして、自身の考えを押し付ける。あーしろ、こーしろと。
でも、Aさんにしてみれば、そんなことはもうやってることなのです。
いちいち全ての行動をツイートしてる人なんていません。せいぜい1割以下でしょう。
その1割を見て「決めつけ(判決)」をしているわけです。浅はかとしか言いようがありません。
残りの9割の中で、Aさんはちゃんとやっているんです。
ちゃんとやっていない場合もあるかも知れませんが、だとしても、考えを押し付けて良いことにはなりません。
気づくように促す方法をとるのが賢い選択でしょう。

僕はそれを3年前に経験から学びました。
ブログにも記事UPしてますが、見つけた!
2010年2月23日の記事だ!コピペ♪
「教えても良いが、教える必要はない。それぞれの成長に合った経験と学びがある。それは人から教えられるものではなく、自分で学ぶことだ。どのみち、教わっても理解しないだろうから無意味だ。いつかは『あー。あの時、こう言われたのは、こういうことだったのか。』と気付くだろうがね。教えることが彼らの学びの邪魔になるかって? 理解されないんだから邪魔にさえならないよ。すぐ忘れるだろう。だから教えても良いと言ってる。学びの邪魔になるようなレベルまで達していたら、その時は 教えないことこそ愛だね。君の言ってる後輩達はまだまだ若い。今はタイミングではない。時機が来たら、向こうから質問されるよ。その時に導いてあげたら良い。でも答えを教えるのではなく、自ら気付くように導いてあげるんだよ。そんなことは君も分かってるはずだ。」
 
要は、新入社員に対しての教育の話になるのですが、ストレートに話しても彼が体験したわけではないので、真の理解を得られないわけです
そこで、僕は川沿いの道を歩きながら、答えを探しました。
すると、ハイヤーだかガイドだかと会話になりました。
結果的に、「促す方法」が良いという話になりました。
まあ、ケースバイケースなのかも知れないですけどね。

今年の7月25日の記事にもこう書いてますね。
誰かに「気づき」を与えるのはナンセンス。 何故なら教えてやれるようなものではなく、当の本人が経験の中で気づいてこそ、本質を理解して身に付くからだ。 上辺だけの「気づき」など何の意味も無い。



しかも、文字の場合は、受け取り手の状態や捉え方次第で、意味が変ってしまう不安定な要素もあります
カンタンに言えば「勘違い」。
勘違いで判決されたら、いやだよね♪

中には、この記事を読んで、「自分のことか!?」と思い込む人もいるかも知れませんが、特定の誰かのことを書いてるわけじゃなく、「夢」からの情報をひも解いてるだけですから、思い込まないようにお願いします。

そういう人もいるかも知れませんが、それは本人にしか分かりませんから。
僕には分かりません。

実体験に基づいて話します。
あの人はダメな人だと決めつけたら、あなたの世界(宇宙)では、あの人はずっとダメな人として放映(現象化、創造)されます。
反面教師としては良い存在ではあるのですが、体験のバランス※をとるために、あなたは必ず「ダメな人だと決めつけられる」という体験をします。
まさにそういう体験をしてしまいました。

そういう体験をしたいなら、それでOKなんですが、あまり長引かせないほうが良いように思います。
だって、もっといろんな素敵な体験をしたいじゃないですか?
でしょ?

※体験のバランスについては、世に言う「カルマ」のことか?と思う方もいらっしゃるでしょう。「カルマ」は人によって捉え方が少し異なる気がします。だから誤解の無いようにその言葉は使いません。そもそも、「カルマ」は無いと思っています。単なる体験のバランスのことを「カルマ」と呼ぶのであれば、それはあるでしょう。また、体験のバランスは、オーバーセルフ目線での話なので、現世だけでバランスがとれるわけではありません。多分(笑)。


あと、話は変わりますが、本からの知識など無駄だと言う人もいます。
体験こそ全てだと。
もちろん、体験がなければ真に理解することは出来ません。
しかし、本を読んでから体感し「なるほど!」と思う場合もあれば、体感してから本を読んで「そうそう!」と腑に落ちる場合もありますから、良いと思います。

言い方を変えれば、予習、復習になるわけです。
なんでも鵜呑みにするのは良くないことでしょう。
でも、そんなこと誰でも分かってますよね?

大事なのはバランスです。
本ばかり読んで、個人の体験を疎かにするのは、どうかと思いますが。

僕はやっと「空(くう) 豊穣の狩人/Mana」を読み終わりました。
少しづつ読んでましたから、一か月以上かかっちゃいました~。
でも、腑に落ちることが多いですし、「瞬間、瞬間で創造している」ことを僕も体感しようと思ったら、ちゃんと体感したのが、凄い驚きでした。
前に書きましたよね?
あ、っていうか、これManaさんの2作目を読んだ時の体験だ(笑)。
時間の逆転現象のことです。
ちょっと過去記事が見当たらないので、書きます。

8月20日(月)の朝の出来事です。日記からコピペします。

朝、起きて時計を見ると6:07。まだ大丈夫と寝る。
また起きて時計は6:47。まだ大丈夫。
また起きて時計は6:45。!?

2分戻ってる!?

どんどん観念を取り払いましょう~♪

弥栄〜♪
 
っていうか、この記事、長過ぎ〜♪(笑)


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