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2013年6月28日金曜日

ツインレイに巡り合いました♪

2週間ほど前からおつきあいし始めた素敵な女性がいるのですが、その後、彼女が僕のツインレイであることが判明しました♪
直感でお友達の何人かにはお伝えしましたが、うち3人ほどはツインレイだと分かってたようです。

※ツインレイについてはネットで検索ください。
http://blog.goo.ne.jp/tamago0927/e/4a433f8dc45464f3f5f906ae5d769302
http://lovetwinstar.blog.fc2.com/blog-category-4.html

とりあえず今回が最後の転生である気がしてたので、遅かれ早かれ出会う気はしてたのですが。
4ヶ月前にとある講演会で初対面。その前にツイッターでお友達になってました。

男性側が見つけるという話もありますが、確かに僕が見つけましたね。
初対面で気になって、自然に次に会う機会、またその次に会う機会がやってきて。。。
宇宙の采配ですねー。
色んなお友達、存在、出来事のサポートがそこにはありました。

最初は脈などありそうもない感じでしたけどね。
いろいろ彼女の中で溶けていくものがあり、今に至ったわけです。

その間、いろんな出来事があり、それぞれが必要なイベントだったと思います。
もちろん、出会う前でも、それぞれが生きて体験していき、ようやく2人が出会う準備が整ったということですね。

そんな中で、これまでの体感として僕が思っていたこと、及び、結果的にもその大切さを再認識したのは次のことでした。

・頭ではなくハートに従って生きること

・プロセスがどんなものであろうと、流れのまま宇宙を信頼して委ねる。

・いろんなところにサインがあるから、道標になるかも知れない
(これは実際に、家が近かったり、彼女の姓が幼馴染の姓と同じだったり、名が従姉妹と同じだったり、名が僕の先祖に通じるものがあったり、関連するものを1日のうちに電車内やTVで何度か見たりして、方向性は合ってると思いました。)

・いろんなパズルのピースがあって、一つ一つは無関係のようでも、ちゃんと繋がって意味があって、今がある。宇宙に無駄は無い

以上。

当たり前のことなんですけどね。

彼女とハグをすると、彼女は無思考になると言います。溶ける感じがすると。
僕はとても安らぎを感じますが、よく考えてみれば、無思考になるから安らぐのだとも思いました。だから、あー、僕も無思考になってた!と。

なんか、このことを書きなさい的なメッセージが昨日今日とあった気がしたので、書かせて頂きました。

ありがとうございます。


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2013年6月27日木曜日

世間を捨てて山に篭り、ただ座り続けてもあなたの真の解放にはならない。

あなたは、正義で在りたい、と思うかもしれない。
悪い奴を排除するのが正義だ、と考えているかもしれない。
だが事実は、
そのような考えは、悪を作り出す原因になっている、ということだ。
悪の存在を認め、悪の存在を強化している、ということなのである。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

観念で観念を解放することはできない。
しかし、観念を解放する前に、一つだけ新しい観念を持たねばならない。
それは、観念を手放すことが大切だ、という観念である。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

何も起きていない、全ては愛である、と認識することが真の<赦し>なのである。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

世界のことを真剣に考えれば考えるほど、世界は真剣な顔を見せる。
だから、ひとたび真実を垣間見た者は、
真剣さがかえって仇となることを熟知している。
あなたが何かを真剣に考えれば考えるほど、現実味が増すからだ。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

世間を捨てて山に篭り、ただ座り続けてもあなたの真の解放にはならない。
なぜなら、世界と対面しなければ、
あなたにどのような観念があるのか、
あなたは知ることができないからだ。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)






ありがとうございます。


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2013年6月24日月曜日

瞑想と日常は、共に必要であり、両者は一つとならねばならない。

("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)より

目の前の全てに、
あなたの内側にあった透明なスペース、
その無、
その空、
その静寂と沈黙があるのはわかるかね?

今この目の前にグラスが置かれている。
その内側と外側の空間が同一のものであるように、
あなたの身体の内側とあなたの身体の外側にあるその無もまた同一のものだ。
その無は全てを含有している。

知的に、『私は身体ではない』と理解するのはいいことだ。
そして体験を深めるのもまた大切なことだ。
だが、常に注意深く、自分自身の観念を観照し続けるはもっといいことだ。
またそれが、体験を深めていくことになるだろうから。
ただ静かに座り、瞑想してその静寂に身を委ねるのは必要不可欠である。
それは大切だ。
だが、その状態ではなかなか根深い観念は現れてこない。
それは無意識に隠れたまま、出番を待ち続けている。
その出番とは何か。
それが日常である。
日常の生活にこそ、
自分自身にどのような観念があるのか、
自分はいったい何を真実だと思いつづけているのかを、
明確に知ることができるチャンスがあるのである。
それは、常に<在る>でいるということだ。

これを忘れないようにするがいい。
瞑想と日常は、共に必要であり、両者は一つとならねばならない。
それは、常に<在る>でいるということだ。

自分にはどのような観念があるのか、に気づき、
それを手放そうと思い、そして<在る>に留まりなさい。
その後、実際に観念や信念を解放するのはあなたではない。
あなたには何もできない。
なぜなら、思考も観念もあなたのものではないからだ。

あなたがここで知る必要があるのは、
あなたに浮かぶ思考と想念に気づき、
『ああ、私は未だに自分を身体だと思っている』と知り、
『でも、この観念は自分に平和と幸福をもたらさない』と再認識し、
それからただ<在る>ことだけである。
これをよく理解するがいい。
これは、毎日あなたが行うことである。
なぜなら、それが真実の自己に帰る道だからである。
これが、<旅>なのだ。





ありがとうございます。


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2013年6月22日土曜日

あなたが真に望む現実を引き寄せるためには、今までのすべてはあなた自身がつくってきたのだということを明確に認めて自覚することから始まるのです。

(空(くう) 舞い降りた神秘の暗号/Mana)より

今のあなたの目の前に広がる現実的結果や状況がどんなものであれ、それ自体があなたを不幸にしているのでもなければ、あなたの人生を邪魔しているわけでもありません(そう思うのはあなたが勝手にそう解釈しているだけです)。
どんないいわけをしても、あなたがこの現実結果をつくった張本人です。他に誰もあなたの現実をつくる神はいません。まずそのことを認め、その責任はすべてあなた自身にあるのだと認めてください。

嫌な現実に思えても、あなたがつくったという事実から逃げないでください。あなたがそんな現実になってしまう可能性があるのだと、どこかであっさりと信じたのです。あなたがそう信じて選択した現実なのです。
それにもかかわらず他のなにかに責任転嫁する限り、あなたは自分の人生の創造主の座を他に譲っていくことになります。

あなたが真に望む現実を引き寄せるためには、今までのすべてはあなた自身がつくってきたのだということを明確に認めて自覚することから始まるのです。今の目の前の状況は、すべてあなたの創造物です。その責任を認識してください。
そうすることで、あなたのもとへあなた自身の創造のパワーが戻ってきます! そして、そこにあるすべての現実結果が大切な価値あるものとして実感できるようになるのです。






ありがとうございます。


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2013年6月17日月曜日

過去から自由になるのは、簡単。

過去から自由になるのは、簡単。

覚えておいてほしいのは
「すべての瞬間は、新しい瞬間だ」ということです。
今あなたが「今は、今だ」と思えば、過去のことを「今」に結びつける必要はなくなります。
みなさんはそのぐらい自由なんです。
そして、今言ったぐらい簡単なことです。

あなたが信じれば、自分自身でそれを証明することができます。
私がかわりに証明することはできません。
証明は、みなさんの中にあります。
(人生に奇跡を起こすバシャール名言集)

みなさんは、恐れを感じるほうが喜ぶよりも簡単だと信じています。
この社会においては、自分が喜びを感じるに値すると思っている人は少ないのです。また、まず努力をしてがんばってからでないと、そういう成果は得られないと信じています。

みなさんの社会では、喜びは勝ち取らなければならないものだと思われていますが、本当は生まれながらの権利として、ずっと喜び、楽しんで過ごすことができるのです。
(人生に奇跡を起こすバシャール名言集)

みなさんは、物事を恐れから選択することもできます。
そして、喜びから選択することもできます。
人生とは、選択です。
みなさんは永遠なる魂です。
形は変わっても永遠に存在し続けます。

ですから、自分にとって楽しい選択をしてください。
自分の望む選択をしていいのです。
もちろん、それを決めるのはあなた自身です。
(人生に奇跡を起こすバシャール名言集)

どんなエネルギーを感じた時も、思い出してください。自分には、それに対処するだけの力があるのだ、ということを。
ぜひ覚えておいてほしいのは、宇宙は、あなたが対処できないものを与えることはないということです。
決して、ないのです。
決して、決して、です。
自分には強すぎるエネルギーが来ている、と感じた時は、自分でそう定義してしまっているだけなのです。
宇宙が特定の定義づけを、あなたに押しつけてきているのではありません。
(人生に奇跡を起こすバシャール名言集)

豊かな人は、割引券を切り取らない

豊かな人は、5円、10円を節約しようと、広告からスーパーの割引券を、一生懸命切り取ったりしません。
そうやっている時、あなたの意識はこう言っているのです。

「そうだそうだ。私はとても豊かな人間だ・・・。
でも、明日はどうなるかわからない。すべてを失ってしまうかもしれない、だから・・・。あっ、いけない。私は豊かな人間だったんだ!」
そういう時、あなたは豊かな人には見えません。
ですから、豊かな現実もやってきません。

自分は豊かだという信号を発していなければ、宇宙は、あなたが豊かな状態であることをサポートできないのです。
(人生に奇跡を起こすバシャール名言集)

人生をシンクロニシティで満たしたいなら

まずは情熱の波動、状態になることです。それが鍵になります。
鍵ができて初めて、ドアが姿を現します。
鍵を持っていなければ、ドアに気づくことはできないのです。

あなたは、何であれ自分の波動を「現実」として経験します。
逆に言えば、あなたの波動がその状態になっていなければ、現実でそのような経験をすることはないのです。

自分の人生がシンクロニシティに次ぐシンクロニシティで、エクスタシーに満ちた状態になっていてほしいと思うなら、
まずはあなたの波動が、エクスタシーに満ちた状態になっている必要があります。
そうなって初めて、喜びに満ちたシンクロニシティが現実となるのです。
(人生に奇跡を起こすバシャール名言集)




ありがとうございます。


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2013年6月15日土曜日

全ては、目覚めが起きれば全て解決される。 なぜなら、自分には何一つ必要なものはない、 他者にも何一つ必要なものはない、 自分や他者や全てが、すでに完全に満たされている、と明確に理解するからだ。

("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)より

探求者は尋ねた。
「師よ、私にはまだまだたくさん知りたいことがあります。
神とは何か、悟り、解脱、ヨーガ、マントラ、超自然能力、奇跡、
人を一瞬にして癒すヒーリング、祈り、次元上昇とは何か……。
質問だらけです。
どうか、全て答えて頂けますか?
私は全てを身につけたいのです」
「まず、目覚めなさい。
それだけだ」
「はい、しかしそれら全てを身につけたいのです。
知りたいのです」
「習得してどうするのかね?」
「もちろん、人の役に立ちたいのです」
「幻想とは変化である。変化とは永遠ではない。
よって、永遠でないものに、永遠の幸福はない。
それでどうして、本当に人を救うことができるだろぅか。
もちろん、多少は役に立つだろうが、世界を救うことは不可能だ。
だが、<本当の私>には世界を救うこともまた可能なのだ。
幻想世界は、それが幻想ゆえにいずれ消え去るものだ。
そこで何を求め、何を得られるというのだろう。
得られるものはまた、全て消え去る運命にあるものなのだ」
「・・・そうですね。確かにそうです」

ある御方は答えた。
「いいかね、
それら全ては、目覚めが起きれば全て解決される。
なぜなら、自分には何一つ必要なものはない、
他者にも何一つ必要なものはない、
自分や他者や全てが、すでに完全に満たされている、と明確に理解するからだ。
だからこそ、なんら力のない幻想、すなわち現象に余計な時間を費やさず、
何よりも直接目覚めを探求すべきだ。
まず目覚め、それから世界で遊びなさい」
「確かにそうかもしれません。おっしゃる通りです。
では、どうすれば目覚めが起きるのか、どうすれば悟れるのか、
どうか教えて頂けますか?」





ありがとうございます。


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2013年6月14日金曜日

「目覚めとはすなわち、自分とは何かを知ること、ただそれだけだからだ。」神秘体験をしたとかチャネリングが出来るとかと、目覚め、悟りとは関係がない。

("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)より

確かに、偉大なる光明があるかもしれないし、人類のはじまりから終わりまでをヴィジョンにおいて見ることになるかもしれない。(中略)だが、それらが重要だとは決して言えないのだ。

なぜなら、目覚めとはすなわち、自分とは何かを知ること、ただそれだけだからだ。自分が唯一無二の完全、永遠の絶対者であると自己認識すること、ただそれだけが重要なのだ。もしそれを知ることができないなら、どのような体験をしたとしても無に等しいのだ。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

至福もまたあるかもしれないし、ないかもしれない。だが、目覚めまでの過程のどこかで至福の経験はあるのが常だろう。というのは、至福とは本来自らに備わっているものだからだ。自己そのものだからだ。それは得るものではない、すでに<在る>ものだ。

ただ、それを忘れてしまっているだけなのだ。だから、今は無いけれども、それが得られるように感じられる。それは、今いる場所から異なる境地に行くことのように感じられる。だが、事実はまったく異なるのである。

ゆえに、境地ではなく、自然な状態に戻るだけのことだ、というのである。あなたが、本来の自己に帰っていく時、至福、それは自然に現れてくるものなのである。舞台から降り、役を演じ終えてほっと一息つく。

あなたはあなた自身に戻った。あなたはあなた自身を思い出した。ただそれだけのことなのだ。至福がやってきても、それに捕らわれてはいけない。それを越えて絶対無まで戻らねばならない。それを覚えておくがいい。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

体験とは、幻想世界の出来事に過ぎず、幻想は幻想なのである。輝かしい神秘体験をイメージしてはならない。イメージしていた通りに神秘体験が起こったなら、それは<心>が作り出した単なる幻想に過ぎない。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

真の神秘体験とは、認識の変化である。何か超自然的な体験をしても、身体を抜け出してどこかへ行っても、それは幻想世界の出来事だ。目覚め、悟りとは関係がないと言ってもいい。いいかね、真理だけが<私>を自由にする。それは理解と自己認識なのだ。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

個人的な<私>が消え去り、<それ>が<それ>自体に目覚めるのである。<それ>が、ただただ自分自身に目覚めるのである。その時、自分に必要なものは何もない、と自己認識し、また、自分は完全に満たされていることも明確に自己認識するのである。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

目覚めれば、生活の一切が必要なく、どこか超人のようになって生きていく、ということではない。ゆえに、禅では有名な言葉がある。「目覚める前、薪を割り、水を汲む。目覚めた後、薪を割り、水を汲む」と。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

目覚めた者とは、ただ自身の完全さだけを観ている者なのだ。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)

真理は必ず<私>を自由にする。完全に解放する。信頼するがいい。真理は、必要なものなど一切ない、と教えてくれる。全てはすでに完全だ、と教えてくれる。そしてそに教えてくれる真理とは、あなた自身のことなのである。
("それ"は在る ある御方と探究者の対話/ヘルメス・J・シャンブ)




ありがとうございます。


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2013年6月13日木曜日

あなたは「空」という観察意識なので、自己が転生するというより「記憶のデ一タ」が転生するのです。そしてまた新たな肉体の中に取りこんだ「記憶」を自分だと錯覚して生きていくのです。単なる記憶のデータなのに、その記憶を自分の苦しみだと信じて生きていくのです。

(空(くう) 舞い降りた神秘の暗号/Mana)より

「輪廻転生と魂」

人が亡くなると、その人の人生経験の「記憶のデータ」が別の子宮に移ります。「自己」が移るのではありません。自己、つまりあなたは「空」という観察意識なので、自己が転生するというより「記憶のデ一タ」が転生するのです。そしてまた新たな肉体の中に取りこんだ「記憶」を自分だと錯覚して生きていくのです。単なる記憶のデータなのに、その記憶を自分の苦しみだと信じて生きていくのです。この記憶データのことを「魂」といいます。つまり魂とは、感情経験の記録器のようなもの、CDロムのようなもののことです。思考と感情の記録が魂です。ですから魂それ自体は「あなた」ではありません。あなたは魂のデータを読み取っている側です。

死を迎えるとき、あなたは周囲の空間にその「記憶」をデータとして残していきます。その感情の記憶に未練と執着があって、手放すことができないので残してしまうのです。記憶という想念波動や思考エネルギーの束が残るのです。「我が思い!」とあなたが信じ、執着するからです。単なる機械的なデータだということを忘れ、自分がそう思っているのだと錯覚するからです。それは一人歩きしていきます。ほどくことができず、光に戻れないのです。あなたが苦しんでいたら、それらの苦しみはすべてどこかに居場所を探します。どこかほかの記憶システムに入っていくのです。一つの子宮にまるまる入ってしまうこともあれば、断片的に入ることもあります。ですからその子宮の中の新しい肉体にとって、その苦しみの記憶は、今の自分のものではありません。「他人の思考や感情」を受け継いでいるのです。ただし、一個人の記憶システムをまるごと受け継いだりはしていません。

許されず、愛されず、達成されなかった考え方、マインド、記憶データなどが受け継がれやすいのです。それは「今回の新しい肉体で、なにがなんでも達成したい!」という執着のエネルギーが縛りとなって存続しているからです。マインドをほどくことができないままでいるのです。その思考、そのマインドが、誰かによって「単なるデータだ!」と識別されるまで、ほどくことができずに転生します。あなたの肉体の中には、断片的にあちらこちらからもらってきた「記憶データ」がいっぱいです。それらがあなたの苦悩システムを形成しています。

(中略)

一個人が丸ごと転生という状態はありません。しかし無数の「苦悩の記憶データ」は、とてもリアルなエネルギーを保って転生していきます。今こそそれを理解し、記憶としての苦しみを「溶かす」ときです。そうしなければ、今の肉体の中であまりにも分厚くなって、苦しさが増していきます。それでもあなたが、今現在の肉体の中にある「苦悩の記憶データ」に気づかないでいると、周囲の人の中にそれらを見いだすことになります。あなたが、誰かを見て「かわいそう」と思うとき、その「かわいそう」な部分はあなたの肉体にも苦悩の記憶データとして残っているのです。

いつか、どこかで、誰かが感じた無数の傷が、あなたの肉体に入り込んでいるのです。
しかしあなた自身という「空」にはなんの傷もありません。
あなた自身という「空」には苦悩がありません。
あなた自身という「空」は至福だけなのです。

ですからその苦悩の記憶を、あなたのものではない単なるデータとして受け入れ「気持ちはよくわかりました」「本当にお疲れさま」とねぎらってあげてください。




ありがとうございます。


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2013年6月7日金曜日

昔、中国の禅寺で、修行僧が最も高い位の老師に、「どうしたら悟れますか」と聞いたんだって。

(一瞬で幸せになる方法/阿部敏郎)より

昔、中国の禅寺で、修行僧が最も高い位の老師に、「どうしたら悟れますか」と聞いたんだって。そうしたら老師は、何も言わずに自分が履いていた草履を脱いで、それで質問した人のほっぺた、スコーンと叩いたの。
あっけにとられたでしょう、きっとね。
当時の中国を代表する、最も気高い聖者といわれた、最高の知性といわれたその老師が、こともあろうに、草履を脱いで、いきなり自分の横っ面をひっぱたくなんてことは、自分の観念を超えていたわけでしょ。
処理できない情報がバーンと、無慈悲にも、まさにいまここに来たの。その瞬間、その修行僧は、悟りを得たといわれています。

どうですかみなさんも、みんなで草履を持って、隣の人をパーンっと(笑い)。不意打ちされても、悟ったもん勝ちだよね(笑い)。
悟りというのはね、誰かにできて、誰かにできないというようなものじゃないんです。すべての人に与えられた可能性なんですよ。
僕たちみんなに与えられている、当たり前のことなんですよ。

まず悟りを、「たいしたことじゃない」って思えると、何だかちょっと偉くなった気がする。
実際たいしたことじゃないんですよ。もともともっている、自分の基盤を思い出すことですから。悟ること以上に、この世で簡単なことはない。でもあまりに簡単すぎるから、難しいことなんですよ。
そして悟ること以上に、この世で大切なものはありません。





ありがとうございます。


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2013年6月5日水曜日

今のありようは、今のあるがままでOKですし、何も間違っていませんし、悪くもありません。ですから、今のありようには感謝してください。

 (空(くう) 豊穣の狩人/Mana)より

今のありようは、今のあるがままでOKですし、何も間違っていませんし、悪くもありません。ですから、今のありようには感謝してください。(体験させてもらっただけなのです)

でも、もっと違う別の自分を知って体験したいからという理由で、それが本当に興味があっておもしろそうという理由で、「別の自分の体験に変えるぞ」と決めるとき、新しい自分を構築する「プロセス」や「条件」も同時に変わってしまうのです。

創っておきながら、発生させておきながら、今まで受け入れないできたものや、無視してきたものや、抑圧してきたものに対して、どうか感謝と祝福を贈ってください。

感謝でしか、その出来事空間を閉じることができないのです。「生きる」とは、「虚空」から外へ生み出された「自己の創造物」のすべてを受け入れて観じて満ち足りていくことの連続にほかなりません(真に満ち足りることは、感謝の同義語です)。

感情という化学反応も、実はあなたの「創造物」だということです。すなわち、人格・性格は創造物なのです。人格・性格は化学反応のことであり、これこそが、「空」が観察したかった創造物の一つだったのです。

あなたの肉体の中へ、あなた自身が受胎させた「感情反応」という創造物(生命体)を、あるがまま、そのまま、何も抑えず、ストレートに受け入れ、観じて、感謝してください。

創造物を充分にいつくしみ、観じてあげること、共感してあげることによって、それらは虚空に吸収され、結果、あなたという意識は満ち足りていき、さらに神の意識として拡大前進するためのパワーが再び自ずと生じていくのです。

あなたの欲と、他者の欲は絶対にぶつからないようにできているのが宇宙の摂理ですから、お互いの欲をあるがまま認めあっていくと、そのことがお互いを活かし合い、お互いに支え合うことができるようになります。

ただ、「こうあるべき」「こちらのほうがスゴイ」という価値観の洗脳を受けてしまうと、お互いの欲がぶつかってしまうでしょう。




ありがとうございます。


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2013年6月2日日曜日

正しい生きざま、立派な生きざま、すばらしい生きざま、そんなことを追及するために生きているのではありません。「あなた」が喜べるバイブレーションなのかどうかです。あなたは「あなたの地球と宇宙」を創ってください。

(空(くう) 天翔ける歓喜の弥栄/Mana)より

「共に栄えようね!」「喜びと共に楽しく生きていきます!」「天意に誠を尽くします!」これらの言霊は、光の本質のことば(マントラ)です。これらのことばを形にして口にし、音の響きと共に、肉体の共鳴を感じてください。

音に出さないときも、身体の共鳴を感じてください。あなたのエネルギーが最高に高まります。あなただけのオリジナルでかまいませんから、最も幸せに感じる意宣りを日々行なっていってください。

目の前の現状や目の前の相手を、何とかコントロールして変えようとしたり、戦いを挑んだり、逃げ去ろうとすることは愛の表現ではないから、根本解決しません。ぜひ、好ましくない体験にも祝福を送ってあげてください。そして、愛ある意宣り直しをしてください。

この最高の意宣りである、「共に栄えようね!」を日々まごころをこめて宣言していくと、あなたの肉体という柱に、最高の喜びの気が降りるようになっていきます。

ワンネスとは「調和」「和合」という意味です。弥栄ですね。たくさんの違ったものがあるから、補いあえるし、サポートしあえるし、全体バランスが整うのです。人の数だけ好みがあってよいのですから、あなたは「あなた」であってください。そうでなければワンネスではないのです。

あなたはあなたを生きるために肉体をもらったのであって、他者の概念を生きるために生きているわけではありません。

正しい生きざま、立派な生きざま、すばらしい生きざま、そんなことを追及するために生きているのではありません。「あなた」が喜べるバイブレーションなのかどうかです。あなたは「あなたの地球と宇宙」を創ってください。





ありがとうございます。


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