ページ

2013年5月4日土曜日

ボブ・フィックス 瞑想セミナーに行ってきました。

ボブ・フィックス 瞑想セミナーに行ってきました。
http://abetoshiro.ti-da.net/e1294344.html
阿部敏郎さん、ボブ・フィックスさん、マイケル・ハマーさん、阿部智子さん。
ありがとうございます。


阿部:今日初めて来た人いるかも知れないんで、ちゃんと説明しておきますけれども、僕が阿部で、アレがボブです。」

観客:(大爆笑)

阿部:あの向こうがマイケル。

ボブ:ハハハ

阿部:分かりましたね?(笑) 僕とボブを間違える人がいるんで。

ボブ:
今日はこんなに集まってくれて、本当に素晴らしい場だと思います。
私達が自分で瞑想していますと、それはそれで素晴らしい。
でも、これだけたくさんの人とご一緒にしますと、さらにパワフルさが倍加します。
それが大きな波を作り出すからなんです。
この大きな波に乗りますと、私達がそれほど深くなかったとしても、
波がやってきて私達をつかまえると、私達が一人では行けないほど深い所に連れて行ってくれます。

瞑想というのは人生そのものを変える非常にパワフルなツールです。
日常の私たちが行けるよりもずっと深い意識の領域に行けます。

私たちの内側には宇宙全体にある可能性が眠っています。それは素晴らしい宝の宝庫です。
誰にもそれは備わっています。
でも普段の私たちは日常生活の自分に責任であるとか、自分の問題であるとか、そういうことに囚われてしまって、
自分の内側に素晴らしいものがあることに気づくことはありません。

そこで瞑想することによって、私達が本来持っている宝の倉庫のカギを開けることが出来ます。
内側にあるものはブッダの仏性と言われるものです。
この仏性の中には、この宇宙に存在している、あらゆる知識、あらゆる叡智、あらゆる情報が詰まっています。
また、そこは私達の存在の中で、もっとも平和な場所です。

私たちの人生は非常の活動的です。
私たちの内側には常に変わらぬ静けさがあります。
私たちはたいてい自分たちの行動に夢中になってしまって、自分の内側にある静けさを体験するという余裕がありません。
日常生活、日常で関わらなければいけないものは、現代ではますます多くなっています。
社会の流れについていくだけで大変です。
毎年しなければならないことは、ますます高くなっています。
そして、私たちは疲れてしまっている。これ以上要求されても応えることが出来ない状況です。
そうすると、ストレスがたまってしまって、燃え尽き症候群になります。

このようなことにならなければならないということは、まったくありません。
何故ならば、私たちの内側に底知れぬ潜在的な能力があり、そこに大きな資源があるからです。
私たちがこの日常の中で、充分使うことが出来るエネルギーの宝庫が内側になります。

もちろん、私たちの生活を維持するための、空気であるとか、水であるとか、食べ物は外側からやってきます。
でも本当に私たちを生かしてくれている生命力というものは、本来の私たちの内側にあります。
私たちの多くは心がすぐに疲れてしまって、そんなにたくさんの力が内側にあるとは感じられません。

瞑想は、ある意味で、私たちの持っている汲めども尽きぬ水を湛えた井戸の中にバケツを落として、
そこから必要な水を汲みあげる役割もあります。

また瞑想することによって、私たちの中に、しっかりした中心が出来ます。
そして、私たちが成長していくとき、強風にも負けず、常に冷静でしっかりと立っていくことができる根っこを作ることが出来ます。
また同時に私たちの気づきを深めてくれます。
また同時に私たちの中に、深い平安の意識をもたらします。
平安とゆるぎない安定感です。
そうすると、私たちがどんなに活動的になっても、
あるいは世の中の変化が、どんなに急激に変わっても、
私たちは変わらぬ平安を内側に持ち続けます。
それは大いなるギフトです。

さらに、内側の平安を増大させることによって、平安な状態でいることが、私たちに大いなる安らぎをくれます。
そのような完璧な休息を得ることが、私たちがストレスから解放されるために本当に必要なのです。
高度にストレスにさらされている時こそ休息が必要です。
この2つは常に分かたれることが出来ないものです。
皆さんがより一層活動的であればあるほど、どうやったら深い休息をとれるかを知る必要があるのです。
でなければ、やがてストレスに打ち負かされてしまいます。
そうすると、病気になります。そして死にます。

これはブッダが私たちに与えてくれた教えです。
ブッダはストレスという表現ではなく、カルマという表現をしました。
それは同じことを示しています。
カルマは単に摩擦に過ぎません。
それは摩擦と抵抗です。
私たちが深い平安と休息をとることによって、この摩擦と抵抗を自分の人生から削除することが出来ます。
宇宙も自然界もバランスが崩れると、自然と調整する作用があります。
私たちの身体にもそういう機能が備わっています。

私たちの身体はどのようにして、そのバランスをとればいいか、自分をどのように癒すかという知恵が備わっています。
でも日常をとても忙しく過ごしており、自分自身をさらに駆り立てているので、
せっかく調整する機能がありながら、その機会を与えようとしません。

ブッダは言いました。
「自然の流れに沿っていきなさい。
そうすることで、全てのカルマを乗り越えることが出来る。」

で、私は言いたいんです。
平安の中に深い休息を見つけてください。
そうすることで、あらゆるカルマやストレスを乗り越えることが出来る。
それは皆さんの目を開き、ハートを開き、マインドを開かせてくれます。
そうすることで、自分のすることを冷静に見つめ、間違いを起こすことが少なくなります。

その他にも瞑想で得られる効果はもっとたくさんあります。
科学者が生理学的な観点から瞑想を研究した時、
瞑想は人間の自然な意識の状態であることを知りました。
起きてること、眠ること、夢を見ることと同じように自然なことです。
でも、キチンと行うためのスイッチを入れる作業が必要です。

瞑想の状態は4番目の意識状態と呼んでいます。
それを普段意識していない失われている意識の状態だとも呼んでいます。
起きている時、寝ている時と同様に、瞑想にも特別な機能があります。
それがあることで、生活を続けることが出来ます。
また、新しい機能を私たちに与えてくれます。
必要な機能です。
そこで、多くの科学者が一致した意見を持っているのが、瞑想する人は長生きするということです。
ただそれだけじゃなくて、常に若い気分でいられます。
物忘れしにくくなる。
身体が故障するということもなくなります。
機械は何でもそうですが、使いすぎによって故障が起きます。
人間の体も同じです。
きちんと手入れしないと故障が起きます。
マインドもハートもそうです。

ですから、失われていた意識である、瞑想という境地は、私たちの生活に欠くことの出来ないものです。
しかも誰にでも出来ます。
子供にも瞑想を教えたことがあります。
90歳を超えた方にも。
高学歴の方にも、それほど教育を受けていない方にも。
誰でもやりたい方が出来ます。

瞑想の知識が無いか不安なんですと言われる時があります。
私は「何も問題ではないですよ」と言います。
「瞑想というのは、何が起きているか理解出来なくても、ちゃんと出来るから」と言います。
つまり、寝る時、あるいは眠りから醒める時、皆さんは学んで出来るようになったわけではないですよね。
自然とそういう状態になります。
瞑想も同じです。

瞑想状態に入ろう!と肩肘を張ることはないのです。
眠る時と同じです。
眠ろう!眠ろう!とすれば眠れなくなるのと、瞑想は似たところがあります。
全て手放すことで眠くなるのと同様に、瞑想も同じように出来るのです。
リラックスして委ねることです。

プロセス瞑想も、出来るか心配する必要はありせん。
私たちが全て準備を整えてさしあげます。
マイケルさんの音楽、私のマントラ、それは本当にその世界へ誘導します。
それはあたかも電車のようなものです。
ついては、皆さん電車に乗りましょう。
そして、座席にゆったりと腰かけてもらって、皆さんの行きたいところに連れて行ってくれます。
ですから、これをやる時、誰もが瞑想を体験します。
皆さんはやってくる波に乗るだけです。
ただリラックスしてエンジョイしてください。

私たちが瞑想する時、実際何が起こっているのでしょう。
まず私たちの身体に起きる変化というものは、色んな代謝が下がるということがあります。
私たちの視野も広がっていきます。
フォーカスっていうのはたいてい狭いものですけど、自分の内側で何が起こっているのだろうというところに、意識がいきます。
瞑想を通じて、何が起こるかというと、常に外を向いてばかりいる私たちの注意を、内側に向けられるわけです。
自分の内側を眺めてるという表現よりも、自分の内側に落ちていく感じ、そして、あらゆるものを手放していく、そういう感覚があります。
そうすることで、自分の内側にあるものを、もっともっと体験できるようになります。

よく科学者は私たちは自分の脳の4%しか使ってないと言います。
アインシュタインでさえ10%しか使ってないと言います。
あのような天才でも90%の脳は使っていないということです。
私たちが外側に意識を向けていると、私たちは脳の4%、アインシュタインのレベルでさえも10%しか使っていません。
残りの90%はどこへ行ってしまっているのだろう?
それは自分たちの内側にあります。
瞑想を通じて、その部分を感じ、そして、それを体験して欲しいと思います。

プロセス瞑想を始めますと、皆さんが睡眠状態に入るとか、あるいはトランス状態に入るわけではありません。
集中することなく、自然に生じます。
それは全体が目覚めてゆくプロセスなんです。
そして脳全体が活性化します。
もっと脳が調和した状態が生じます。


阿部:
いま、凄く重要なことを言ったと思ったんだけど、一点に集中することが瞑想ではないってことですか?
むしろ何もフォーカスしない。ただ起こるがままを、全体として感じてゆくという。。。

ボブ:
ライト!
瞑想する時もフォーカスしないで、何かに集中しようとしない、感じるという感覚のほうがいい。
リラックスしてエンジョイしてください。

阿部:
ところが我々のマインドっていうものはね、フォーカスすることしか知らない。フォーカスしてその意味を知ろうとする。

ボブ:
あまりにも訓練され過ぎているんですね。
ありがちなのは、一生懸命に何かしないと、物事は変わらないんだという性格にあります。


阿部:
さっきボブが言ったように、頑張ってやろうとすると出来ないことがある。
例えば、それは眠るということ。何故出来ないかって言ったら、眠りというのは我々の行為じゃなくて、
眠りというのは我々の、ただ待っている時に訪れてくる状態だからね。
その状態を努力で作ることは出来ない。彼方から来るものだから。
瞑想はその点は全く同じです。
ただ一番大きな違いは、意識があるかないか。
眠りの時は意識を失っています。

こうやって、僕は隅っこにいますけど、本当は喋りたいんです、たくさん。(会場爆笑)気持ちだけ分かってください。

ボブ:
よく多くの人から、「瞑想しようとしているんですけど、ちっともうまくいかないんです」と。
その理由は余りにもやろうとし過ぎている意欲が勝ちすぎていることに問題があります。

顕在意識→潜在意識→無意識→量子場(空(くう)、仏性、ダルマ)。
量子場では摩擦、距離、引力が無い。

マントラは、量子場からやってきた波。それが推進力を作る。
もっと的確に言うなら、量子場の中で波動を作り出しているものがマントラです。

阿部:マントラというのは、仏性、量子場、空(くう)の波動?

ボブ:イエス!

ボブ:
エゴを動かしたかったら、フォーカスすることを止め、リラックスすること。
それでもマインドがあちこちきょろきょろするかも知れません。
マインドっていうのはコンピューターです。知りたがりなんです。何かをしたがるんです。
あたかも、せっかく電車に乗ってるのに、さらにその中で走るようなものです(笑)。

眠ろうとしないでください。あちこちを見る必要もない。ただ感じる。
そして、リラックスする。
そうすると、自分の内側にある大きな果てのない空間の中に、自然と落ちてゆく感じになります。
それがブッダが仏性と呼ばれた空間になります。
それが空(くう)なんです。学者は量子場と言います。それは無限の場です。

それはただ安らかな空間であるだけでなく、賢くて慈愛に満ちているだけでもなく、そこにあるのは無限の潜在的能力です。
そして無限のエネルギーです。無限の叡智。無限の幸福感。

よく忙しすぎて瞑想が出来ないという声を聞きます。
でも、忙しすぎても、まだ銀行には行けるでしょう?
あなたの銀行は内側にあるんです。
叡智、慈愛、いろんないいものを内側から引き出すことが出来ます。
それでも時間が無いと言うなら、あなた次第です。


量子場は海のようなものです。
そこには2つの側面があります。
それは活動的な部分と静かで穏やかな部分です。
波が荒れている状態の海と凪(なぎ)の状態の海と想像して頂ければよい。

量子場のある部分にはたくさんの波がたっています。
もう一方では、波が無い穏やかな状態。
波が海面に現れる時、私たちは、それを観察することが出来ます。
そうすると、そこに2つの存在が認識できます。
観察者と観察される側です。

ですから、そのような意味で、量子場でも、観察者と観察対象が存在します。
そうすると、皆さんが瞑想している時に、自分が瞑想しているという感じもあります。
皆さんは自分の瞑想を観察していながら、「自分」という存在は完全に消滅はします。
そして、自分自身の意識が無限のものであると観察します。
それは本当の意識です。

凪(なぎ)の状態の海。それは最も純粋な空(くう)の状態です。
何も観察すべきものがない。観察者もいない。
でも意識はあります。

阿部:
その意識は、観察しているという状態でないとしたら、観察する対象も無ければ、観察する自分もいないんだけれども、
そこに何らかの存在としての自覚だけ残っているという感じですか?

ボブ:
ほとんどの場合、私たちが最初に空(くう)の体験をした時、実際そこに行ってるという感覚が無い。
だから、多くのマスターが「エゴを持たない」ということを強調している。
でも、より正しいのは「フォーカスしない」という表現だと思います。
エゴやマインドはそうではない。そういうものは消えてしまう。
意識はその反対に限りなく、研ぎ澄まされてそこにある。
でも、あなたはそこにいるという気がします。
何故なら、そこにマインドが入ってこないから。
ですから、皆さんが瞑想する時、通常、何が起きるかというと、
ちょっとした瞬間に意識が飛んで「あ!いったい何が起こったんだ?」。

阿部:
寝てたのか寝てなかったのか分からないって言い方をする人がいるけど。。

ボブ:
ライト!
最初の体験の時は、自分が寝てしまったのか、そうではない別の体験なのか、分かりません。
多分、そう思ってしまうのは首がうなだれてた。。。(笑)

でも、私たちが空(くう)から出てきた時、睡眠から覚醒した時よりも、本当に瞬時に普通の意識状態に戻ります。
つまり、睡眠状態から目が醒めたのであれば、もっと段階をふんで、普通の意識に戻るまで時間がかかっています。
空(くう)に入ってた場合ですと、殆ど瞬間的にパチッと意識が醒めるという感じがする。


以上。こんな感じかな。全文ではございませんので。

にほんブログ村                                                        哲学・思想ブログ    スピリチュアル・精神世界へ

0 件のコメント:

共有ボタン