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2012年3月11日日曜日

ハイヤーの仕組んだプロセス

昨日もまた幾つか放ったらかしだったテーマのうち、幾つかをクリアすることが出来ました。
それも自然に。
まさにハイヤーが仕組んだキッカケがあって、プロセスがあって、自然にクリアーって感じで。
ま、やってる本人は汗だくでしたが(笑)。
でも苦にならなかった。
ここがポイントですよね。

しかも、朝起きた時に携帯を見たら9:55という表記だったので、「あれ?こんな時間か。」と思ってちゃんと起きてみたら、実は9時前だった。
見間違えるとも思えないのだが、おかしなこともあるなと思った。
しかも普段なら休日だしゆっくりするのだが、さっさと着替えを済ませた。
その着替えが済んだタイミングでインターホンが!
ヤマト運輸のお届け。お急ぎ便だったから夕方かと思ってたが早かった。
だから、起床させ着替えさせた、っていうことか。

フフフ。やるやないか。マタハイヤー。。。

昨日届かなかったモノや、足りなかったモノもあるけど、おかげで他の部分が進んだので丁度良かった。
これもハイヤーの仕組んだプロセスだな。

つい数日前も、あることが理由で自然に幾つかクリア出来てたので、何だか面白いですね。最近は。勝手に進んでゆく感じ。


さて、ここ1週間の間に見た夢から、一部だけ抜粋します。


ベッドが6つくらいある部屋にいる夢。
ホテルだ。
他の人はどこへ?と思ってると戻ってきた。
何と大学卒業後に最初に勤めた会社のメンバーだ。
朝一のミーティングをしてたらしい。
何故、僕を起こさなかったのか?を聞いてみると、
「気を使って起こさなかった」
ということだ。
なるほど。
仲間外れにされたようにも見えるが、そういうことではなく、自ら起きない限りは起こさないということ。自由意志を尊重されたわけだ。
そんな夢。

これも、出来事に意味は無く、その意味付けしてるのは人間に他ならないということですね。
何かあればネガティブな方向に考えがちですが、まあ確かに本当に予想があたってるかもしれない場合もありますが、どちらにしても、ポジティブに考えてたほうが良いですよね。


お気に入りのギタリストが登場した夢。
ニューアルバムのジャケットを見せてくれた。
僕は何故か同じデザインのものを砂漠に描いてみた。そっくりに出来た。
そのデザインは、砂漠であり、凹凸で顔を表現しつつ、左上にはペンがあって、緑を描き加えているというデザイン。
つまり、簡単に言えば砂漠に緑を!という意味。
みんなペンを持ってるのに塗らないだけ。塗ろうぜ!って感じだ。
何か象徴的な意味を感じる。
乾いた心を癒そう!みたいな?
そんな夢。

あ、別に僕の心は乾いてませんよ〜。艶やか〜です。


大学に行く夢。
新入生だな。都心の大学だ。そういう設定の夢。
エレベーターに乗る。同乗者6名。
ところが、エレベーターがありえない動きをする。
チューブの中を通ってるような。
すごく傾いたりする。不安定。
「これって明らかに下に落ちてないか?」と誰か(教授か?)が言う。
「いや、気のせいでしょう。」と僕は言う。
でも明らかに変だ。
そのうち扉がパーンと吹き飛ぶ。
その瞬間、そこが外だと分かった。
木の横を過ぎようとしたので、手を出し木をつかみ、ぐるぐる回ってエレベーターの動きは止まった。

外に出ると、エレベーターの側面が壊れてる。
予測としては、爆発があって、吹き飛ばされたのでは?
一人がトラックを借りてきた。
これで大学まで戻ろうということだ。
荷台にエレベーターの破片を乗せてる。持ち帰って分析するのか?
僕は一生懸命ロープで破片を固定してる。
僕よりも大きな破片。
大学に戻ると、ごった返していた。電灯がついてない。停電してる。非常灯が点いてる。
なんか受付を通らないといけないらしい。
そこが混んでる。
中国からの留学生が並んでくれてる。一緒にいた人の3人は留学生。
僕プラス3人は日本人。
日本人のほうは何故か留学生の陰口を叩いてる。
僕は注意した。あんなに一生懸命やってくれてるのに。
どうやったら、そんな上から目線で言えるのか?と。
そんな夢。

まあ、何だか分かりませんが、後半は皆さん平等だということやね。


次の夢は僕が綺麗な嫁と可愛い娘(3歳くらい)と日常生活を暮らしてる夢。
多分、平行自己でしょう。
所帯持ってるバージョンもあるんですね〜。


高円寺に飲みに行く夢。
昨年エハンさん関係イベントで何度かお会いした女性が登場。
その他に、昔いた会社の同僚の韓国人の方が登場。
そんな夢。

その韓国人の男性は日本語ペラペラでけっこう僕とは仲が良かった。
ビザの関係で国に戻ってしまった。元気だろうね。


大浄化の夢の成果が分かった夢。
少し前に大浄化っぽい夢を見たが、その時とメインの登場人物は同じで、でも、僕は堂々としてました。
すると、向こうも感情的な態度では無かったように見えました。
そんな夢。


部屋にいたが、ビバリーヒルズ高校白書のブランドンがやってきた夢。
なんだか懐かしいな。
「いつ死んでもよいように、デジカメにメッセージ動画を残そうよ」
と言う。いや、僕が言った気がする。
ブランドンにカメラを向けて、喋らせる。
そんな夢。


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10 件のコメント:

DGZ さんのコメント...

マタジュローさんはじめましてDGZと申します。

ここ一年で次々と変化がおきて、導かれてマタジュローさんのサイトへ辿り着きました。
このサイトでエンジェルナンバーの存在を知り、まさかと思い調べたところ一致していましたのでご報告します。

黄色い人(KIN 212)
スプリチュアルナンバー8
エンジェルナンバー 33
チャレンジナンバー 11

ただ私は夢を見ることは殆どなくて能力は異なるようです。
体がセンサーといった感じでしょうか?
昨年のわずかな放射能(神奈川)でも私の体にだけ異変が表れました、それと血管の血流を感じることができます。
あとは直感で真実を感じ取ったり、周囲の人達の光(愛)の力を湧き上がらせる力といった感じでしょうか?

まだ勉強不足なものですから、どの力を皆さんが持っている物なのかも知らないのですが、
これからも寄らせてもらって勉強させて戴こうと思います。

よろしくお願い致します。

マタジュロー さんのコメント...

DGZさん

はじめまして!
コメントありがとうございます!

わお!ナンバーが一緒なんですね〜!
へえー。似た様な人生だったのかも♪

直感は大事ですよね。まさに内なる声なわけですから。

周囲の人達の光(愛)の力を湧き上がらせる力!
それはまるで、クリスタルチルドレンですね!

勉強だなんて、そんな(笑)。
でも何かのキッカケ程度でも貢献出来れば嬉しいですね。
ありがとう。

夢日記ばかりで、キチンとした記事が最近は少ないのですが、宜しくお願いしますね〜。

DGZ さんのコメント...

マタジュローさんこんにちは

先日の続きなのですがたぶん私は初期の
戦闘的なインディゴチルドレンなのだと思います。
(温厚な感じのマタジュローさんとは正反対かな?)

学生時代は私達の世代で上級生に立ち向かうことで
リンチ等の暴力による支配を終わらせました。
そして社会では年功序列による支配構造に耐え続け
上に立つことで改革してきました。
もちろんこれは私の成果ではなく
協力してくれた仲間たちがいて
初めて成功を収めることができた結果です。

不思議なことにどちらも事が終えると
後輩達に明るく声をかけるだけで後は
なにもせずとも自然に光或る(愛ある)空間になり
私達のやることは何もなくなりました。
それと同時に次なる難局が押し寄せてくる感じです。

よって改めて考えると、
私達が周囲に光(愛)を与えているのではなく
私達がラッセル車のように古い体制をかき分けて
クリスタルチルドレン達が思いのままに
輝ける場所を切り開いていたのかなと感じます。

マジュタローさんの言葉で色々と自分について
考え直すことができました。ありがとうございます。

振動の高い人と接することで次々と開けてゆく
というのはズバリこういうことなのですね。


ちなみに先週のことなのですが、
私はあるカルマに纏わる出来事で悩んでおり
ギリギリの精神状態でした。

その悩みは法律的には間違いなく罪なのですが、
私は「愛」ゆえの選択ということで法を犯しました。
このことは私が地獄まで持って行けば
良い話だとずっと考えていました。
ところがアセンションを迎えるにあたり
上記の選択では私だけがカルマの精算を
済ませることができないことに気が付きました。

もちろん私だけが地獄にゆくのであれば因果応報
ですし覚悟はできていたのですが、
この場合、私がいなくなることで結局は関わった
全員を不幸にすることがわかりました。

最悪の選択をしてしまったと深く落ち込みました。

そして、3月9日の朝にモウロウとする意識の中で
気が付けばなぜかマジュタローさんの
「カルマなんて無い! 」が開かれており、
これを読んだところすべての
不安を一瞬にして払拭することができました。

私は「愛戦士DGZ」何も悩むことはないのだと…。
「愛」を信じて突き進むだけでよいのだと…。

その想いが脳裏に浮かんだ瞬間!
ある種の悟りが開かれたのか、晴れ渡る空のような
とてもすがすがしい気持ちになりました。


それとこれはまったくの別件となりますが、
いま私がトレーニングしていることについて書きます。
ハイアーセルフ33さんが3月8日にふるやの森へ
投稿してくださった和尚ラジニーシさんの教えである
「ひとつしかない瞑想―見守ること」への挑戦です。
重要部分を抜粋しますと下記の部分になります。
(これも気が付けば導かれて辿り着いていました。)

【抜粋】
ノーマインド、あるいは無心の境地は、
心を動かさないようにすることとはまったく逆だ
――それは心を超えることだ。
それは、心が何百万光年も離れたもっとも遠い星になり、
あなたはただの見守る人にすぎないくらいの距離を、
あなた自身と心の間につくることだ。
心が静止させられていると
あなたはコントロールしている人だ。
心がなければ、あなたは見守る人だ。
これが区別する目安だ。

これを参考に脳を天にむけて移動させるイメージで
それを空中、月の距離、太陽の距離、小さな星の距離
光一本で繋がった何百万光年も遠くの星の距離
そして最後はその一本の光を無くす感じで心(脳)を
遠くに置いてくるトレーニングをしました。
(トレーニングと言っても2、3日で効果がでました。)

私の場合は右脳が極度に発達していたからか
右脳は簡単にできて左脳は後から押し出す感じとなり
最後は遠くでそれらが一つに融合した感じでしょうか?
(自然を歩きながらのトレーニングが良さそうです。)

まだ現状がどの程度の完成度かはわかりませんが、
このトレーニングを始めてから多くの変化がおこりました。

まず怒りの感情がなくなりました。
おそらくネガティブな存在を体が受け付けなくなったのか
愛のないメッセージは心に届かなくなりました。

そして恐怖の感情もなくなりました。
先日ふとしたことで目の前で手を叩かれたのですが
まったく目を閉じることはありませんでした。
相手は不思議に感じて何度も繰り返したのですが、
最後は目に手が接触して痛みを感じるまで
目を閉じることはありませんでした。

歩くのも手で何かを持つことも初めてのような感覚で
歩けば足の裏の神経からことこまかに情報を受けとり、
一つ一つの動作も意識しなければ歩けない状態となり。
マウスを操作するにも目でホイールを確認しなければ
回せないような状態になりました。

要は体で覚えていたことをすべて忘れたのだと思います。
よって擦り込まれた恐怖や怒りを忘れることができましたが
引き換えに生活に必要な感覚も失ったようです。

あと、気が付けば心臓がすべてを感じる
心となったようで何をしていても
常に心臓の鼓動を感じるようになりました。

心臓(ハート)は「第二の脳」であると聞いていたのですが、
どうやらこういう事だったようです。

これが今後、どのように誰の役に立つのかわかりませんが、
直感でここへ投稿する必要を感じたので送信します。


長文失礼いたしました。

DGZ さんのコメント...

マタジュローさんこんにちは

先日の続きなのですがたぶん私は初期の
戦闘的なインディゴチルドレンなのだと思います。
(温厚な感じのマタジュローさんとは正反対かな?)

学生時代は私達の世代で上級生に立ち向かうことで
リンチ等の暴力による支配を終わらせました。
そして社会では年功序列による支配構造に耐え続け
上に立つことで改革してきました。
もちろんこれは私の成果ではなく
協力してくれた仲間たちがいて
初めて成功を収めることができた結果です。

不思議なことにどちらも事が終えると
後輩達に明るく声をかけるだけで後は
なにもせずとも自然に光或る(愛ある)空間になり
私達のやることは何もなくなりました。
それと同時に次なる難局が押し寄せてくる感じです。

よって改めて考えると、
私達が周囲に光(愛)を与えているのではなく
私達がラッセル車のように古い体制をかき分けて
クリスタルチルドレン達が思いのままに
輝ける場所を切り開いていたのかなと感じます。

マジュタローさんの言葉で色々と自分について
考え直すことができました。ありがとうございます。

振動の高い人と接することで次々と開けてゆく
というのはズバリこういうことなのですね。


ちなみに先週のことなのですが、
私はあるカルマに纏わる出来事で悩んでおり
ギリギリの精神状態でした。

その悩みは法律的には間違いなく罪なのですが、
私は「愛」ゆえの選択ということで法を犯しました。
このことは私が地獄まで持って行けば
良い話だとずっと考えていました。
ところがアセンションを迎えるにあたり
上記の選択では私だけがカルマの精算を
済ませることができないことに気が付きました。

もちろん私だけが地獄にゆくのであれば因果応報
ですし覚悟はできていたのですが、
この場合、私がいなくなることで結局は関わった
全員を不幸にすることがわかりました。

最悪の選択をしてしまったと深く落ち込みました。

そして、3月9日の朝にモウロウとする意識の中で
気が付けばなぜかマジュタローさんの
「カルマなんて無い! 」が開かれており、
これを読んだところすべての
不安を一瞬にして払拭することができました。

私は「愛戦士DGZ」何も悩むことはないのだと…。
「愛」を信じて突き進むだけでよいのだと…。

その想いが脳裏に浮かんだ瞬間!
ある種の悟りが開かれたのか、晴れ渡る空のような
とてもすがすがしい気持ちになりました。


それとこれはまったくの別件となりますが、
いま私がトレーニングしていることについて書きます。
ハイアーセルフ33さんが3月8日にふるやの森へ
投稿してくださった和尚ラジニーシさんの教えである
「ひとつしかない瞑想―見守ること」への挑戦です。
重要部分を抜粋しますと下記の部分になります。
(これも気が付けば導かれて辿り着いていました。)

【抜粋】
ノーマインド、あるいは無心の境地は、
心を動かさないようにすることとはまったく逆だ
――それは心を超えることだ。
それは、心が何百万光年も離れたもっとも遠い星になり、
あなたはただの見守る人にすぎないくらいの距離を、
あなた自身と心の間につくることだ。
心が静止させられていると
あなたはコントロールしている人だ。
心がなければ、あなたは見守る人だ。
これが区別する目安だ。

これを参考に脳を天にむけて移動させるイメージで
それを空中、月の距離、太陽の距離、小さな星の距離
光一本で繋がった何百万光年も遠くの星の距離
そして最後はその一本の光を無くす感じで心(脳)を
遠くに置いてくるトレーニングをしました。
(トレーニングと言っても2、3日で効果がでました。)

私の場合は右脳が極度に発達していたからか
右脳は簡単にできて左脳は後から押し出す感じとなり
最後は遠くでそれらが一つに融合した感じでしょうか?
(自然を歩きながらのトレーニングが良さそうです。)

まだ現状がどの程度の完成度かはわかりませんが、
このトレーニングを始めてから多くの変化がおこりました。

まず怒りの感情がなくなりました。
おそらくネガティブな存在を体が受け付けなくなったのか
愛のないメッセージは心に届かなくなりました。

そして恐怖の感情もなくなりました。
先日ふとしたことで目の前で手を叩かれたのですが
まったく目を閉じることはありませんでした。
相手は不思議に感じて何度も繰り返したのですが、
最後は目に手が接触して痛みを感じるまで
目を閉じることはありませんでした。

歩くのも手で何かを持つことも初めてのような感覚で
歩けば足の裏の神経からことこまかに情報を受けとり、
一つ一つの動作も意識しなければ歩けない状態となり。
マウスを操作するにも目でホイールを確認しなければ
回せないような状態になりました。

要は体で覚えていたことをすべて忘れたのだと思います。
よって擦り込まれた恐怖や怒りを忘れることができましたが
引き換えに生活に必要な感覚も失ったようです。

あと、気が付けば心臓がすべてを感じる
心となったようで何をしていても
常に心臓の鼓動を感じるようになりました。

心臓(ハート)は「第二の脳」であると聞いていたのですが、
どうやらこういう事だったようです。

これが今後、どのように誰の役に立つのかわかりませんが、
直感でここへ投稿する必要を感じたので送信します。


長文失礼いたしました。

DGZ さんのコメント...

二重投稿になってしまったかも知れません。
申し訳ございません。

適切な対応の程、宜しくお願い致します。

DGZ さんのコメント...

あらら、本文届いていないようですね。

長文だったので文字制限や行数制限にでも
引っ掛かってしまったのでしょうか?

しばらく様子をみようと思います。

マタジュロー さんのコメント...

DGZさん

長文でスパム扱いになってたようです(笑)。昨日気付いて解除しました。

「ラッセル車のように古い体制をかき分けてクリスタルチルドレン達が思いのままに輝ける場所を切り開いていた」
というのは面白いですね。
確かに役割分担がありますよね。それを実体験してる。
ドロレス・キャノンさんの動画で確か言ってたような。

カルマについては、やはり私自身も「無い」と思ってます。
自由意志に対する自己責任はありますが、それはより自然な物で、カルマとは違うもの。
うまく言えないのですが。

昔はカルマという概念があったほうが、人々が善行しやすいというか、コントロールしやすいというか、何かの思惑があって、そういう思想が蔓延したのでしょう。
それが、因果応報、自業自得、といった言葉のように、当たり前の概念になってしまった。

では、何故、いまだに高次の存在とか宇宙人とか名乗る存在のチャネリングで、カルマのことを「ある」と言う存在がいるのか?と。

単純に彼らは地球人の集合意識が作り上げた存在であるからと思ってます。ゲシュタルトとかエレメンタルという言い方でも良いかもしれません。

「書く」ことで内観出来て、気付きを得たりすることが多いと思います。だからこそ、「書く」必要を感じたのかも知れませんね。

DGZ さんのコメント...

マジュタローさん

書いた自分でも驚きの長文を読んでいただき
ありがとうございます。

今迄こういった内容を書いても
まともなコメントしか返ってこないところを
知らなかったものでついつい
嬉しくてかいてしまったのかもしれません。

それとカルマについての深い考察をありがとうございます。

マジュタローさんのコメントを読んでいて思ったのですが、
自分の場合はカルマはあると一度考えたことによって、
罪についてと今後の自分のありかたについて
深く考えることができました。

そういった意味ではこの
「カルマはあるという説がある」ことは
「無心」に辿り着くには必要な事なのかもしれないと思いました。


それと先日の長文で一番大切なことを書き忘れていました。

「カルマなんて無い!」のコメントで
私を助けていただきありがとうございました。

DGZ さんのコメント...

マタジュローさん

すいません><

お名前を書き間違えてしまいました。
助けて戴いた方になんてことを…。

申し訳ございませんでした。

マタジュロー さんのコメント...

DGZさん

助けただなんて(笑)。

ご自身で必要なものを引き寄せて、ご自身で解決されたんだと思いますよ。

名前は、割とそう間違う方がいらっしゃったりします(笑)。
ですので、マタさんとか、マジュさんとか呼ばれますが、全然大丈夫ですので、お気になさらすに。

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