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2012年12月23日日曜日

そこには感謝しかありません。

ご無沙汰しております。
すっかり更新が滞りました。
何故ならオールOKだからですね。
書くことが無いというよりも、書く気がしない。

それでも、朝風呂に入りますと、書いてみようという気分が出てきました。
出てきたというよりも、誰かに言われた気もします。

過去を振り返りますと、3年ほど前辛い経験をしていました。
それは半年以上続きました。
様々な事情があり、会社での人間関係が急激に悪化していきました。
それは当時の僕の体調に起因してました。
会社にも行きづらい。
というか行きたくない!という状況。

気がつけば、ランチも一人で行くようになりました。
幸い、近くのお店には、知人の友人のお店があったり、馴染みのあるお店があったり、寂しさを感じたことはありませんでしたが、社内にいる時は本当に苦しかった。
体調と相談しつつ頑張って会社に行っても、そんなことは逆効果になってました。

そして、通勤電車の中で自問自答を繰り返していました。
特に勇気づけられたのはバシャールとの会話です。
あくまでも僕がそう思ってるだけで、実際には分かりませんけどね。
特に雨の日なんかは「閃き」のような自問自答が多かったことを覚えています。

ある雨の日、会社からの帰りの電車の中、バシャールとの会話を通して、「周囲の全てが自分の教師」ということを実感しました。
は!っと閃いたのです。稲妻が走るかのごとく。
全ては鏡に写った自分自身であると。。。
反面教師という言葉がありますが、まさにその通りでした。

そこに座ってる若者も、会社で軋轢のあった同僚も、すべて僕が創って体験しているだけだと。
僕に気づかせるための役割。
それは僕の望んだ目標に動き出してるだけに過ぎない。
もともと大いなる自己しか存在せず、役割が異なるだけで、その多様性の中で学んでいるだけなのだと実感しました。
全部、自分なんだと。

ちなみに、この辛かった時期は、既にブログやってましたから、少しは記載してたかも知れません。
最終的には半年くらいで分化して急速に好転していきました。とても大事な経験でした。

丁度、前後して、ガイドかハイヤーとの会話と思われる自問自答の中で、「他者を放っておく」という会話をしてました。
要は、無理矢理教え込むことは出来ず、気づくようにサポートするくらいしか出来ないのだということでした。
遅かれ早かれ、その人のタイミングでちゃんと気づくのだ。それさえも計画の一部なのだ。
他者に気づかせたいという僕の思い自体が、自分自身のエゴに他ならないということに、その時に気づいたのです。

だから、僕の思考や振る舞いも理解されないこともあって当然
そして、対立してたと自分で思ってた同僚は、僕が創り上げた存在であり、対立自体が思い込みに過ぎず、同僚の思考や振る舞いは、大いなる自己によって計算し尽くされた完璧な役割に過ぎず、そこで僕が色んな感情や思いを体験し、その先へ進む起爆剤となりえたわけです。

そこには感謝しかありません。

そこから「嫌い」なものは消えていきました。。。
だって、全てが自分ですしね。
「みーんな、大好き」って感じで、中には「合わない」人もいるかもね!っていうのが基本になったと思います。

例えば、中学に入った日に、僕はクラスメートの2人からイジメられました。
僕は両親の事情というか兄の事情で、小学校と中学校で学区を変えることになりました。
ことの重大さに何故か全く気づかず、反対もせず、誰も知り合いのいない中学に進んだのです。(2つ上に兄はいましたが)

そうすると、全くのよそ者である僕は、そういうイジメの対象になったわけです。
もっともイジメたのは彼1人で、もう1人は腰巾着みたいな役割です。
でも、たった1年で僕の背は40cmくらい伸びて、体格も見違えるようになったので、その後は、イジメられても、「はい、そうですか」という感じにつきあってあげる感じでした。既にイジメられてる感覚は無かったのです。
それでも苦手意識はありましたね。面倒くさいというか。

後に、彼自身が小学校時代に「イジメ」られていたことを知りました。
イジメられる側とイジメる側を体験したんですね。彼は。
僕はイジメる側を体験していませんが、気づいていないだけで、どこかで体験しているのかも知れません。
いずれにしても、イジメられる体験をしたのは、彼のおかげです。
ありがとう。

そして、同時に、僕は彼のイジメる側という体験のために、協力した(演じた)わけです。
やるじゃん、俺!って感じですね(笑)。

そして、今朝の夢に、彼が出てきたんです。
すっかり彼を忘れていたけど。
解放の一環だと思うけど、ここが出てくるというのは、かなり解放することが無くなってきた気がしますね。

なんで、こんなこと書いてるんでしょう。
僕自身が忘れてることがありますから、もう一度、振り返って、そして解放するということかも知れませんね。

また、気が向いたら書きます♪



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