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2010年4月24日土曜日

「人生の師とは?」

今日は会社からの帰宅途中の電車の中で、Chakra Suit/Steven Halpernを聴きながら、諸々の感謝の祈りをした後、ハトホルの光のエクササイズ(プラーナ管に光のエネルギーを天地から取り込むやつ)をやってたら、いつの間にやら瞑想状態になり、頭の中でが聞こえた。

「人生の師とは?」

ん? いきなりディープな問いだな。。。
ハイヤーな俺からの問いだと思った。
「考えてみれば、これだ!という人生の師と言えるような人はいないよなー。」
って感じた矢先に、次の答えが。

「いえいえ。そういうことじゃないんです!人生の師とは特定の誰かのことではありません! あなたの周囲の全てが人生の師です! あなたの周囲の人。周囲の出来事。それら全てが人生の師です。風の音。草の香り。それさえも人生の師と言えるでしょう。」
おおー! ベタな答えだが、そりゃそうだ。
答えをくれたのはバシャールみたいな感じの存在。というか、僕が勝手にそうイメージしちゃったんでしょうね(笑)。
「問い」も「答え」も同じくハイヤーセルフからか、またはガイドだと思います。
ヘミシンク的に言えば、電車の中でノンヘミしてたわけですね。

で、その後、その電車は降りて、別の電車に乗り換えて、数駅で自宅のある駅に着いたわけですが、その間も自問自答なのか分かりませんが解説が続きます。

「今、あなたにぶつかって追い抜いていった人。人生の師ですね。(数分後)ああ、すれ違い様に足を軽く踏んでいった人。これも人生の師ですね。(数分後)あなたの前をメール打ちながらゆっくりと歩いてる人。邪魔ですか? これも人生の師といえる出来事。全てそうです。些細なこともそう。少しだけで良いから感じてください。深く考える必要は無いんです。いちいち深く意味を考えていたら生活出来ないです。だから少し気に留めるだけで良いんです。そこで、その時に気付くこともあれば、時を経てから気付くこともあるわけです。合わせ技で気付くこともあります。」

えっと。まあ、自問自答です(笑)。
なるほど。通勤途中だからと言って、周囲に無関心ということではいけないようですね。
無関心でいるつもりは無いんですが、無関心になりがちかも知れません。
生きてるだけでも多くの学びがあるんだと思います。
しかし何気ない日常の中でも多くのことが学べるんでしょうね。積み重ねでしょうけどね。

で、実はここからが本題だったりします(笑)。

数日前の帰宅途中の電車の中で、座っていると、他の方が通り過ぎる時に何度か傘の先で
突かれていました。もちろん、彼らは全く気付いていません。
なんで気付かないのか? しかも何故か、その日はそれが多かった。

いや。前から思ってたんだが、手の感触で傘が人にぶつかってることは気付くだろうと。
何故に気付かないのか?と。混んでるわけでもないのに。
俺は絶対にこういうことは無いぞと。
彼らは悪気は無いんです。ただ、気付かずに他人を傘で突いてるだけです(笑)。
気付かずに人を傷付けているだけです(笑)。

シルバー・バーチがこんなこと言ってます。
入力が面倒なので以下よりコピペしました(笑)。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/kodairei.html
(問) 動物の肉を食べるということについてはどうでしょうか。
  動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、いけないと知りつつやることは何ごとであれ許されないことですから、やはりそれなりの報いを受けます。その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。知識には必ず代償が伴います。責任という代償です。

コピペ終了。
(検索して、たまたま出てきたサイトでしたが、面白そうなサイトです。今度ゆっくり読んでみようかと。)

で、まあ、例えは異なりますが、それがいけないことだと気付く段階まで進化していないだけという話ですね。

さて、実は今日の夕方、こんなことを思いました。
今日、会社の同僚から仕事に関係する「ある新しい技術」を習いました。
これ、普通に義務的に習ったというか、当然のことのように習った。
もちろん感謝してるんですが、立場の違いとか、照れくささもあったので、感謝の表現をしていませんでした。
でも、それって、教えた側から見たら、どうなの?って思いました。
ハッと急に思ったんです。

僕的には感謝してる。でも、それを表現してないから、そのことを同僚は知らない。
だから、「なんだよ。あいつの態度。俺は会社のためにこんなに頑張っているのに、あいつは分かってくれない。もう教えるのを止めようかなー。」とか思うかも知れないですね。

僕が自然にもっと愛をベースにしたポジティブな行動をしてたら、素直に「ありがとう!」と言ってたでしょう。
素直に表現してないから、同僚は勘違いして傷付いたかも知れません。
そう!僕も傘を突いてくる人と同じだって気付いたんです!
気付かずに人を傷付けていたのではないかと。まあ、話のレベルは異なるんですが、基本は同じ話だと。
で、多分、これまでの人生の中でも、そういうスレ違いは起きていたんじゃないかと思います。

そんな気付きがあったからこそ、帰りの電車の中で、その補足的な話をガイドかハイヤーセルフと思われる存在がしてくれたんだと思っています。




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2 件のコメント:

そら さんのコメント...

「ハトホルの書」の最後の頁に日常の中のちょっとしたところに生命に貢献するチャンスはあると書いてありますね。

私達は日常で出会った人との関係の中に学ぶことが沢山ありそうです。そういう意味では自分の人生の中からまなぶことこそ、リアリティーを持った大切な学びですね。

関東連合のお二人の魂はほんと、ピュアーですね。。^^

マタジュロー さんのコメント...

そらさん

ありがとうございます。

けっこう頭を切り替えちゃうほうなので、日常の中でも、
学びの時間と休憩の時間をキッパリ分け過ぎていたような気がするんです。

それはそれでトータルで学びなんだから、それでも良いと思うんですが、ちょっとキッパリ切り替え過ぎていたかなーと。特に通勤時はね。

学んでると理解しつつ日常を過ごすのと、何気なく日常を過ごすのでは、ほんの少しだけ前者のほうが、学びの効率が良い気がします。
誤った意味付けをしない限りは。

ピュアーですか(笑)。ピュアーな感じに塗ってるだけかも知れないですよ(笑)。幾層にも重ね塗りされていて、本当の色がまだ見えてなかったりして。

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