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2015年3月28日土曜日

視点、視野、視座

基本的なことなんだけど、もう一度書くね。
朝風呂の中で「書きなさい」的なインスピレーションがあったからね。

Aさんはコレは○だと言う。
Bさんはコレは△だよと言う。
どちらも同じコレを見ています。

何故、見え方が違うのかは、もちろん視点が違うからです。
(私は2008年頃から精神世界系の本などを読むようになりましたが、それ以前の今から15年くらい前に、視点ではなく、そこから見える範囲である「視野」と表現していました。そして意識進化するたびに、視野が多角的になると表現していました。その意識進化は螺旋状に見えていました。これらは当時の日記に書かれていますが、その行いが内観だと気づいたのは多分2年くらい前でしたw)

視点は「着目してるポイント」です。
視野が「見える範囲」。
視座が「見る立ち位置」。
ですから、「視座」という表現が的確でしょうけど、それらをまとめて「視点」と表現します。

この視点によって、コレは一般的な観念(それぞれの物差し)によっても、見え方が違いますが、どんなに内観して観念を解放していっても、この物質次元に顕現している以上、外せない深い基本的な観念があります。それは「分離」という観念です。

ですから、物質次元からの視点と、もっと高次元からの視点でも、当然のことながら見え方が違います。
(ちなみに次元の「高い低い」は「優劣」とは関係ありません)

上記のAさんとBさんはどちらも正しいのです。
でも、人はそこに善悪の判断を持ち込んでしまいます。
ステレオタイプに白黒ハッキリしたがります。
自身の正当性を訴えるのに必死になります。それはまた承認欲求があるからでもありますが。

でも、どちらも正しい。「正しい」しかあり得ないのです。
「あやまち」など存在しないのです。
ただ、観念、視点が違うだけなのですから。
そこで何かを100%決めつけることはお薦めしません。

そして、この説明自体が、さらに別の視点からも解説することも出来るわけですね。
うまく説明出来なかったかもしれません。
後半どうでもよくなっちゃってw
あはは♪ ありがとう!

ありがとう♪

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2 件のコメント:

辻 さんのコメント...

紹介

百花繚乱  http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/

全生庵  http://www.theway.jp/zen/

言霊百神 http://futomani.jp/

マタジュロー さんのコメント...

コメントありがとうございます♪

殆ど他のページは見ないのですが、ちょっとだけ見てみました。

ご紹介の意図が分からないのですが、
まず、新興宗教というか宗教自体に興味がありませんので、最初のは読む気になれませんでした。それだけの時間も無いですしね。

2つ目は、なるほど、こういう禅寺があるのですね。ふむふむ。

3つ目は、なかなか入ってこないジャンルですね。このへん好きなFB友達はいますが。

ありがとうございます♪
ただ、この内容を色んなところでコメントしてるようですが、その意図は何なのでしょうか?

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