先月8/16(火)の夜に都内の某大学病院にて手術したわけです。
20年くらいハードコンタクトレンズを使用していて、ここ6年くらいは眼鏡中心でしたが、「ハードコンタクトレンズが網膜を薄くする」という説があるようです。また「PCや携帯などのブルーライトも網膜にダメージを与える」という説もあります。
うちの親族で網膜剥離になった人はいませんから、これらの生活環境が原因なんでしょうかね・・・。
両目とも飛蚊症の症状がありましたから、特に右眼は1年前という直近でしたから、それが前兆とも言えましたね。。。
近眼の人は網膜が薄くなって網膜剥離になりやすいようです。
眼科検診って大切ですね。
8/12(金)の夜にTVを見ながら軽くお酒を飲んでいたのですが、暑かったので、ほろ酔いを飲んだ後に、お酒のシャーベットを飲んで(食べて)ました。
すると、口当たりがいいものですから、普通のシャーベットと同じような感覚で食べていたところ、そのアルコール度数は5度とはいえ、アルコールと冷たさがダブルで影響を及ぼしたと思われ、キーンと激しい頭痛が!いつもとは違う激痛!
その後、右眼の左下に何やら肌色っぽいものがチラチラ見えます。鼻ではありません。
後で思ったのですが、これは恐らく出血です。。。
かき氷を食べた時にするキーンという頭痛。
その原因は明確には解明されていませんが、以下の説があるそうです。
①関連痛
喉の神経が「冷たさ」を「痛み」だと間違え一種の錯覚が起こっている。
②血管の炎症
急激に冷えた口内を温めるために、一時的に大量に使用するので、この時頭の中で急に血管が太くなり、一時的な炎症を起こし、頭痛を引き起こしている。
http://blog.tanosimujinsei.com/239.html
僕は②だと思いますね。今回の体験から。
どういう影響を及ぼしたのかはハッキリしませんが、お酒で血行がよくなっているところへ、シャーベットの血管への影響で、出血した。そう感じてます。
もっとも、僕の網膜が薄いそうなので、それが根底にあります。
薄くなった原因はハードコンタクトレンズやブルーライトが考えられるわけです。科学的な根拠は無いようですが。。。
その夜は、肌色の何かがチラホラ見えてただけなので、気にせずに寝ました。
翌朝(8/13(土))になっても、状況は変わっていません。
もともと整体に予約を入れてた日なので、隣の駅まで行きました。
整体から帰ってくると、その肌色の何かが黒くなっていることに気づきました。まだ小さいです。
ネットでいろいろ調べて、僕は血が固まったものという判断をしてました。
放っておけば、これは消える、と。
翌朝(8/14(日))、その黒いものは少し大きくなってました。右眼の視野を1/4ほど覆ってます。
しかし、「血が固まったもの」と勘違いしていた僕は、そのまま近くの公園に散歩に行きます。
15時頃に帰宅して、明らかに黒い部分が大きくなっており、右眼の視野の1/2を覆ってました。
お盆の時期ですが、ネット検索で隣駅で診療している眼科を探して、夕方17時頃に受診。
そこで
・網膜剥離
・紹介状を書くから明日の朝一番に大学病院に行って診察を受けなさい
・即入院、即手術になるから、準備して行きなさい
と告げられます。
このお盆の時期なので、診療しているところが限られます。大学病院はお盆でもやってるとのことでした。
そして、8/15(月)朝一番に御茶ノ水にある大学病院を受診。
即入院。
そして急を要する状態ということで、翌日の手術が決まりました。
ほっといたら失明でした。
突然のことで、その流れに身を任せるしかありませんでした。
日曜の夜、及び月曜の早朝のうちに、会社の関係者へメールして、事情を説明し、その間の仕事を託しました。
右眼の左下から拡がっていった黒い部分は剥離した箇所です。
左下に見えてますが、右上の網膜が剥離しています。
もう半分以上見えてません。。。
入院は2-3日か1週間か?と日曜は聞いてたけど、2週間ということでした。
そして、剥離の位置、サイズ的に右眼のレンズ(水晶体)を切除しないと手術出来ないということでした。
これは2重のショックでした。。。
色んなことがリセットされた瞬間でした。
そして、僕は今の自身の仕事のあり方を再考せざるを得ませんでした。
その前提として、僕が思い描いていた目標への道筋自体の変更も意味します。
これは強制的に発動されたイベントだけど、ターニングポイントだ!と。
その当時にFACEBOOK上に投稿した記事があります。
その一部を以下に載せます。
今回のことは、もちろん必然というか、次へと向かうための強制発動だと思いました。眼である必要もあったわけです。
具体的なことも見えてます。まだ右目は見えないですが(笑)。
スパルタ過ぎる現実ですが、それは僕の創造の途中経過として必要なイベントだったのです。
😈
今後が楽しみです♪
2か月後に追加手術をするのですが(網膜が弱くて人工レンズを同時に入れられなかったので。だから右目は退院しても追加手術までボヤッとしか見えない)、それもまた意味があると思います。なんとなく分かってます。色々なタイミングを調整してる感じ。
大きな観念が外れて、新たな道筋が見えてきた、という感じですかね♪
スパルタ過ぎるのは遠慮する!と意図してたのですが、この程度のスパルタさがないと、先に進めなかったのでしょうね。。。
人工レンズが入るまでの2か月間、右目がボヤッとしか見えない分、他の何かがクッキリと見えてくるかも知れません♪
😜
あと、嫁の協力も不可欠でした。
ありがとう♪
😄
8/16(火)入院2日目。手術の日です。
手術は既に他の患者さんたちで予定が組まれていたので、その最後にしてもらえることになったので、何時になるか不明でした。17時くらいかな?という話でしたが、19時過ぎに準備が始まり、手術室へ向かい、ベッドに戻ってきたので、21時半くらいでした。実質的な手技は1時間ちょっとだったかと思います。
手術は局部麻酔で、自分の右眼の中で行われていることが視えちゃいます。
痛みは、、、最初の麻酔注射が痛かった!
僕はまな板の鯉、いや、まな板の出目金みたいな気分で、手足を少しバタバタさせちゃいました。
後は痛いことはなく、最後の縫合で少しチクチクして、最後の点眼でむちゃくちゃ沁みて痛かった!
それですっかり撃沈という感じで、「手術はうまくいきましたよ。終わりましたよ。」とドクターが言ってますが、僕の方は声になりませんでした。
術後、手術室の前でいったん待機(何の待機か知りません)。車椅子に座ってます。
右眼にはガスが入ってます。そのガスが網膜を完全に張り付かせるために働いてくれます。そして、自分はうつ伏せでいる必要があります。食事やトイレ以外は。
僕は待機している時も、顔を下に向けてましたが、うなだれているようにも見えます。
まあ、実際、うなだれてました。。。
そこへドクターがやってきて僕の方に手を置き「ここからが正念場ですからね♪ 頑張ってくださいね♪」と優しい声で言いました。
その瞬間、僕の中で張りつめていたものが切れ、涙があふれました。
もともと痛くて涙目だったけど、さらに痛くなってしまって。
病室に戻ると、嫁が待ってましたが、僕は
「優しい言葉をかけるな。泣いちゃうから」
と言ったと思います。
遅くまで待っててもらって感謝してます♪
また、仕事のあと連日のようにサポートに来てもらって、大変助かりました。
僕一人だけだったら、無理でした。会社の仕事や決算のことで、僕じゃないと出来ないことがあったから。
また、両親と伯母にも見舞いに来て頂き、金銭的な援助も頂き、おかげでかなり出費を抑えられました。
ここの病院のトイレの手洗い場は、感応式だけど、なかなか反応しない。
というか、手を差し出しただけだと反応せず、手を洗うように動かすと反応する。
動くと反応するんだね。。。
宇宙もそう。僕が動くからこそ反応するんだ。
そんなサインを感じたよ♪
術後、3-4日はうつ伏せの指示で、その後は左が下になるように、という指示でした。そして、あおむけ以外はOKになり、今はもう自由です。
結局2週間くらい入院してましたが、最後にドクターから提案がありました。
もともと、網膜が安定してから人工レンズを入れる追加の手術をするという話だったのですが、入院してる間にもう安定してるので、まだ退院しないでその手術を受けてから退院したらどうか?という話でした。
究極の選択でした。
日曜の退院予定が水曜まで延びるけど、金銭的にも手術の面でも合理的だと思いました。
でも、僕の身体は日曜の退院を選びました。帰りたいと泣いていたのです。
なので「わかったよ、もう帰ろうな」と。
入院中は4人部屋で、他の患者さん達のイビキやら何やらで、なかなか夜へ眠れません。それも早く帰りたい理由でした。
術後、入院中、僕の右眼の白目は赤くなったままでした。あまり改善しません。
(もっとも右眼内で出血が見られ、それが無ければもっと早く退院できてたそうです。)
後半は改善していきましたが、僕としては回復の遅さが気になりました。
やはり、睡眠不足、アーシング不足かな?と。
帰宅後、よく眠れました。寝てる時はアーシングもしてます。
目の充血は以前よりも改善スピードが速まったように思います♪
因みに病室はアーシング可能でした。退院直前に気づいた。
うちの会社は10月から忙しくなるし、嫁もお彼岸は忙しいから、僕はその前に追加の手術をしたいと思い、9/8(木)に外来での日帰り手術を受けました。
人工レンズ入れるだけなので、前回と比べたら余裕でしたけど、それでも少しは痛い。
手術当日、翌日は仕事どころじゃなかったけど、どうしても対処しなければならないメールや電話があったりして、それらは対応しました。
結局1件はミスっちゃいましたので、無理してやらないほうが良かったなと。大きなミスではないですが。
入院中、そして現在は、今後のことをちょくちょく考えます。
いろいろやることがあります。会社も移転させます。これがまた大変そう。。。
ここ半年で大きく変わると思います。
人生のターニングポイントって何度かありますが、ここ20年くらいは、そのいずれも体調不良という形で矯正されてました。
今回はとてもキツかった。。。
右眼はもう以前のようには見えません。
歪んで、小さく、細く見えます。
人工レンズ的には手元が見える視力にはなってますが、水の中にいるような感じで、ハッキリとは見えません(レンズではなく網膜の影響です)。右眼だけで読書しろと言われても無理でしょうね。メガネかけると、割と遠方も見えるので、メリットもありましたが。
色味も少し違って見えます。
これらが、いくらか改善されてゆくかも知れませんが、半年とか1年とか、もっとかかるかも知れません。
左右の目の見え方の違いで、最初は頭痛がしてましたが、2-3日で慣れた感じがします。今は頭痛はしません。
小さく見えてる分、視野が狭まるのかな?と疑問に思った時がありました。
最近、余裕が出てきたので、視野を確認すると、右眼の左下に小さいけど見えない部分があることに気づきました。
それは、あの網膜剥離状態で見えた黒いものと同じものです。
右上を見た状態で左下に小さく見えるだけなので、気にはなりません。
これは後遺症なのか、それとも再剥離なのか、ドキドキしますが、気にしないことにしました。
気にしないけど全体的に経過は観察するという感じですね。
万が一、それが大きくなったら、即病院へ行く必要がありますが。
数日前、もう二度と以前と同じようには見えないんだな、とポツリと思った夜、涙が溢れてきました。
もちろん、手術でも頑張った、僕の身体中の細胞たちへの感謝(特に右眼への感謝)がここにあります。
そして「大丈夫だよ」と語りかけます。。。
目に関することだけじゃなく、世の中には様々な障害を持っている方々がいます。
僕が追加手術をする日に病院のTVではパラリンピック開会式を放送してました。
僕が気づかないだけで、街ですれ違う人の中にもいたかも知れない。
そんな人たちに対して、何も知らない僕は、ちょっとしたことだけど危険な目に合わせていた可能性だってある。
「何、ノロノロ歩いてんだ!?」みたいな感じで追い抜いた瞬間とか。
そういう意味でも視野が拡がった気がします。
この間、嫁に元F1ドライバーのザナルディの話をしました。
彼はF1時代は大きな成績は残せませんでしたが(マシンに問題がありましたが)、アメリカのCARTレースでは大活躍して、2年連続チャンピオンになりました。
その後、F1に戻ったものの、やはりF1では成績は残せず、CARTに復帰したものの、大事故で両足を失いました。
しかし、彼はすごいですね。
その4年後にはWTCCで優勝、さらに7年後のロンドンパラリンピックで2つの金メダル、1つの銀メダル。
嫁に話した翌々日だったかな?
現在開催中のリオデジャネイロパラリンピックで、金メダルを獲得したというニュースに触れたのは。まだ獲得するんじゃないかと言われている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tsujinohiroshi/20160915-00062195/
「20歳の時なら、メダルに価値を感じていただろう。でも、40歳になると毎日積み重ねてきたことに価値を感じるよ。(中略)実現できない夢を追うべきじゃないのはもちろんだけど、もし地平線が見えるならやるべきだよ。幸せはいつも、コーナーを曲がった先にあるのだから」(アレックス・ザナルディ)
コーナーを曲がった先に!!
不屈の精神というんでしょうかね?
これはまさに自我のパワーなんだな。原動力は自我にあるんだ。
かじ取りは魂にもあったとしてもね。
魂(トライアード)はBeingで、肉体意識(ダイアード、自我)はDoing。
このタイミングで、再びザナルディの報に触れるというのも意味を感じますね。
それは、「それでいいんだよ、行け!」というエール(応援)です。
僕もそういう意味ではコーナーを曲がったところです♪
12月の誕生日で年齢もコーナーを曲がったところになる感じだし。。。
ありがとう♪