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2013年3月27日水曜日

目標に対するプロセスに予想と違っ た動きがあった場合

頭では理解していても、忘れがちなのだが、目標に対するプロセスに予想と違った動きがあった場合、そこでネガティブな意味付けをするのではなく(スパルタな旅が好きなドMな人はどうぞ)、より明るくポジティブな意味付けをしたほうがいい。

何故なら、それはつまり、自分が創造(現象化)する内容とイコールだからだ。

忘れがちだし、僕も一時的に自我の罠に落ちて、それに気づき、軌道修正してゼロポイントに戻すということがある。

例えば、ある目標があったとして、それに対するプロセスにおいて、が出現したとしよう。ありがちなのは、「目標に無理があったのか?」とか「まだまだ難しいのか?」と思うことだろう。

もちろんピンチをチャンスと捉えて行動する人もいるだろう。ここで僕が言ってるのは、ピンチとさえも思わないということだ。そう頭を切り換えればいい。
「壁が出現」と言ったが、「壁」とさえも思わない。
その出来事に対面してニヤリと微笑み、
「この出来事は、目標のために必要不可欠なプロセスだ。」
「この出来事があるからこそ、先に進めるのだ。」
と僕は言うだろう。

その出来事があったおかげで、自分が起こすアクションが、実は大切だったりする。
※アカシックで起こる可能性の高い未来の幸せを知って安心し過ぎて、起こすはずだったアクションを起こさずに、未来の幸せが実現しなかったという例もある(如月マヤさんの著作で読んだ)。

だから、
「ああ、あの時、あの出来事が無ければ、あの僕の行動はなかった。そうなると、この目標達成も無かったか、または違ったものになっていただろうな。」
と思うことだろう。

そんなわけで、起きる出来事にいちいち一喜一憂することなく、いや、喜ぶのは喜べ。極端に憂う必要はないということだ。
憂うことで次の行動に繋がるわけだから、多少の憂いは必要だが、深刻になる必要はまったくないということだね♪


神はふたつの判断 -よいと、とてもよい- しか持ち合わせていない。神にはそれ以外の判断は存在しない。(時を超える聖伝説/ボブ・フィックス)

良い悪いという次元で考えてはいけない。常に「良い」か、「もっと良い」かという次元で考えなさい。「悪い」は捨てることだ。マインドの中で、それにどんな地位も与えてはならない。常に「良い、もっと良い、さらに良い」という考え方をしなさい。生とはその通りのものだ。(究極の錬金術1/OSHO)


 


 



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