寝ている時に見る夢について、メモしておかないと、どんどん忘れてしまいますよね?
夜中に目が醒めた時に、確かに夢を見た記憶があっても、そのまま寝ちゃうと、朝起きた時にすっかり忘れてる。
または、朝起きた瞬間には覚えてても、洗面台に行ったら、あれ?忘れちゃった!と。
ふいに思い出すこともありますけどね。
起きた時にキーワードだけでもメモしておくと、覚えていられます。
というか、後で忘れても、そのキーワードを見ると、それがキーとなって思い出せます。
自分が転生してくる前の記憶も、似たようなものだと思うんです。
ただ忘れてるだけ。
あとは思い出すだけ。
本人が望むのなら。
思い出す必要があるのか?という議論もあるかと思います。
前回も述べましたよね。
そういう魂の記憶をわざわざ封印して、この世に生まれてきたわけですから。
僕はどっちでも良いと思うんです。
それも含めて、本人が決めた選択ですから。
思い出さないまま体験するのも良い、思い出さないまま体験するのも良し。
僕は夢日記を書いてます。
さっき、今月見た夢を確認してみたら、殆ど忘れてたんです(笑)。
「あれ?こんな夢見たっけな〜。。。
あ!そう言えば見た!見た!」
って感じで。
だから、魂の記憶も
「あ!そう言えばあった!あった!」
って感じに思い出しても不思議はありません。
元々無い!と思ってたら、思い出せない可能性は大きいですが、
それでも、思い出せないわけではない。
何故なら、夢もそうだから。
昨日は夢を見ていない!と思っていても、ふとした瞬間に、突然思い出す。
「あー、夢見てた!思い出した!」
って感じに。
独り言なので、スルーしてください(笑)。
しかし、相変わらず廃品回収の車の音声がウルサいですね。
とても、有り難いマントラに置き換えて受け流すことは難しい。。。
自分は騒音を出してた覚えはないですが、気づかずに出していたのかも知れませんね。
車のエンジン音(マフラー音)、ステレオからの音楽、ギターの音。。。
その分、体験させられてるわけです。。。
ひゃー、今度は窓がガタガタ鳴るほどの車のエンジン音です。
オモテにはBMWが路駐してます。。。
いまはコレ↓読み始めてます。
悟りとは、脳波がガンマ波になることだった!?そして、ガンマ波が出ているとき、脳内に量子場が生まれる。そのとき、人は、高度な機能を果たせるようにな
る。世界的瞑想実践家による、ガンマ波と量子論と「悟り」を結びつけた、画期的な本。悟りの意識レベルの諸相も解説。
とりあえず、スピリチュアルな側面の僕について、つらつらと書き綴っていきますので(と思いましたが、あれから10年ほど経ち、生きることもスピリチュアルの内だと気づきましたんで、あまり更新してないです。何故なら、それってただの日記ですし、そんなに暇じゃないし、今は発信していく立ち位置でもなさそうなので)、 興味ある方はご覧ください。。。
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2012年10月27日土曜日
2012年10月24日水曜日
今朝、朝風呂の中で瞑想してますと、パルテノン神殿が見えました。
今朝、朝風呂の中で瞑想してますと、パルテノン神殿が見えました。
しかも朽ちていない綺麗な神殿。特に意識したわけではなく、急に見えました。
見えたら、どんどん小さくなって見えなくなりました。だから数秒のことですね。
ついでなので、そのまま意識をフォーカスしました。
このパルテノン神殿を見てる人についてフォーカス。
「家の前から神殿が見えるのは、ありがたいし、幸せだ」というようなことを言ってます。
本人の職業は?と聞くと「学者」とのことです。
名前は?と聞くと「ヒポクラテス」とのこと。
そんな人がいたような気もします。。。
しかし、誰だっけ。。。
風貌は?と聞くと「スキンヘッドで長い髭をたくわえた彫像」が浮かびます。
何の学者なの?と聞くと「木」が見えましたが、何故かこれを「生命の木」だと思いました。
そこまでにしました。仕事の都合もあるので(笑)。
さて、後でネットで調べてみた。
確かにヒポクラテスは実在してましたね。
というか超有名!
何となく聞いたことがありましたから、驚きません。
彼は医者でした!
「医学の父」とも言われてるそうで。
「生命の木」に関わる学者に見えた僕の透視も遠からずといった感じでしょうか。
但し、ヒポクラテスの木というものがありました。
「(コス島の)町の中央にはヒポクラテスの木と呼ばれるプラタナスの巨木があり、この木の下でヒポクラテスが医学を教えたと言い伝えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kos_Platane1.jpg
風貌については、下記サイトの右上にあるルーベンス作の版画に似てました。もう少し髪は少なかったですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%9D%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
しかし、彼の家はトルコに近いコス島で、晩年はラリサに住んだものの、パルテノン神殿は見えなかったでしょう。
まあ、両親の死後は各地を旅して医療活動を行い、アテナイをはじめとする諸都市を疫病から救ったとされていますので、アテナイ時代の拠点からの景色なのかも知れません。
パルテノン神殿はアテナイのアクアポリスの上に建設されています。
ということで、突然見えて始まった僕の透視ですが、まあまあかな?
明らかにアクセスはしてる感じ。
じゃ、何故?これが見えたのか?
それは分かりませんが、ガイドかハイヤーセルフが見せたかったか、または、僕の別の転生なのかも知れません。
前世の一つがヒポクラテスだという人は複数人いるかも知れないですね。
それはどういうことなのか?
同じオーバーソウルを持つ存在が同時期に現在に転生しているのか?
それは無いようです。
レアケースとして、存在時期が重複する場合はあるようです。すごい年齢差があるようですが。
この世に生まれる際に、今回の転生に必要だと思われる他の魂の経験データをダウンロードしてから生まれてきます。
その場合、オーバーソウル内のデータである必要はありません。
オーバーソウル同士が集まったソウルがあります。
ヘミシンクではオーバーソウル(またはオーバーセルフ)をI/Thereセルフと呼びます。略称でI/Tセルフ。
I/Tセルフの集合体をI/Tクラスタと呼びます。
(このへんの仲間たちで現在転生してる人たちをソウルメイトと呼びます)
さらに、その上、、、ってどこまであるのか分かりませんので、ここで話を止めますが、とにかく、他の魂の経験データをダウンロードしてる場合もあるということですね。
だから、僕の場合、分かりませんけど、他の転生か、単なるデータか、ということですね。
まあ、もっとも、他の転生自体、オーバーセルフ目線で見れば、確かに自分の転生ですけど、今ここの僕から見ると、単なるデータに過ぎません。
何故なら、今ここの肉体意識とハイヤーセルフの合作が僕だから、それは今回しか存在しない合作なんですから。
他の転生について知っていようと知らないでいようと、大差ないと思ってます。
正直なところ、生まれる前に色んな記憶に蓋をして生まれてきてるわけですから、それをわざわざ確認して人生に活かそうとするのは、カンニングともいえるわけです(笑)。
言い過ぎたかな?(笑)
そのカンニングも含めて自分で決めて現実を創っているんですけどね!
しかも朽ちていない綺麗な神殿。特に意識したわけではなく、急に見えました。
見えたら、どんどん小さくなって見えなくなりました。だから数秒のことですね。
ついでなので、そのまま意識をフォーカスしました。
このパルテノン神殿を見てる人についてフォーカス。
「家の前から神殿が見えるのは、ありがたいし、幸せだ」というようなことを言ってます。
本人の職業は?と聞くと「学者」とのことです。
名前は?と聞くと「ヒポクラテス」とのこと。
そんな人がいたような気もします。。。
しかし、誰だっけ。。。
風貌は?と聞くと「スキンヘッドで長い髭をたくわえた彫像」が浮かびます。
何の学者なの?と聞くと「木」が見えましたが、何故かこれを「生命の木」だと思いました。
そこまでにしました。仕事の都合もあるので(笑)。
さて、後でネットで調べてみた。
確かにヒポクラテスは実在してましたね。
というか超有名!
何となく聞いたことがありましたから、驚きません。
彼は医者でした!
「医学の父」とも言われてるそうで。
「生命の木」に関わる学者に見えた僕の透視も遠からずといった感じでしょうか。
但し、ヒポクラテスの木というものがありました。
「(コス島の)町の中央にはヒポクラテスの木と呼ばれるプラタナスの巨木があり、この木の下でヒポクラテスが医学を教えたと言い伝えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kos_Platane1.jpg
風貌については、下記サイトの右上にあるルーベンス作の版画に似てました。もう少し髪は少なかったですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%9D%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
しかし、彼の家はトルコに近いコス島で、晩年はラリサに住んだものの、パルテノン神殿は見えなかったでしょう。
まあ、両親の死後は各地を旅して医療活動を行い、アテナイをはじめとする諸都市を疫病から救ったとされていますので、アテナイ時代の拠点からの景色なのかも知れません。
パルテノン神殿はアテナイのアクアポリスの上に建設されています。
ということで、突然見えて始まった僕の透視ですが、まあまあかな?
明らかにアクセスはしてる感じ。
じゃ、何故?これが見えたのか?
それは分かりませんが、ガイドかハイヤーセルフが見せたかったか、または、僕の別の転生なのかも知れません。
前世の一つがヒポクラテスだという人は複数人いるかも知れないですね。
それはどういうことなのか?
同じオーバーソウルを持つ存在が同時期に現在に転生しているのか?
それは無いようです。
レアケースとして、存在時期が重複する場合はあるようです。すごい年齢差があるようですが。
この世に生まれる際に、今回の転生に必要だと思われる他の魂の経験データをダウンロードしてから生まれてきます。
その場合、オーバーソウル内のデータである必要はありません。
オーバーソウル同士が集まったソウルがあります。
ヘミシンクではオーバーソウル(またはオーバーセルフ)をI/Thereセルフと呼びます。略称でI/Tセルフ。
I/Tセルフの集合体をI/Tクラスタと呼びます。
(このへんの仲間たちで現在転生してる人たちをソウルメイトと呼びます)
さらに、その上、、、ってどこまであるのか分かりませんので、ここで話を止めますが、とにかく、他の魂の経験データをダウンロードしてる場合もあるということですね。
だから、僕の場合、分かりませんけど、他の転生か、単なるデータか、ということですね。
まあ、もっとも、他の転生自体、オーバーセルフ目線で見れば、確かに自分の転生ですけど、今ここの僕から見ると、単なるデータに過ぎません。
何故なら、今ここの肉体意識とハイヤーセルフの合作が僕だから、それは今回しか存在しない合作なんですから。
他の転生について知っていようと知らないでいようと、大差ないと思ってます。
正直なところ、生まれる前に色んな記憶に蓋をして生まれてきてるわけですから、それをわざわざ確認して人生に活かそうとするのは、カンニングともいえるわけです(笑)。
言い過ぎたかな?(笑)
そのカンニングも含めて自分で決めて現実を創っているんですけどね!
2012年10月22日月曜日
スピリチュアルと関係なくても、ちゃんと学べてる。
およそ8年くらい前、まだスピリチュアルな書籍もホームページも見ていなかった頃、僕は「人生は螺旋を上昇するかのようだ」と思っていた。
同じ方向性の課題があっても、目線が高くなっているから、同じ答えを選択したとしても、その理由は少し異なるのだ。
そうやって、またグルグルと成長してゆく。。。
スピリチュアルと関係なくても、ちゃんと学べてるよね。
同じようなことをスピ系の本でも言ってないかな?
かと言って、宇宙の法則を知って、飛躍的に体験のスピードが速まったのは事実だし、思ったことを現実創造したのも事実だ。環境は大きく変わった。
もの凄いサポートツールだ。
ま、もっとも本人次第だけどね。
鵜呑みにしないで、体験から自分の腑に落とすことが大事♪
人は皆、スピリチュアルな生き物であることに違いないが。
スピリチュアルな本やブログを読まなくても、ちゃんと学べる。
というか、本来の姿だ。
でも、サポートツールとしては良いよね。
使い方次第だね。
もちろん、サポートツールとしては、ヘミシンク、リモートビューイング、アカシック、タロット、瞑想etcもあるよね。
他にも色々だね。
あ!そうだ。
一昨日の朝方の出来事なのだが、ウトウトしている時に、夢と現実の狭間という言い方がシックリくるが、眼は閉じているが、額にスクリーンが開いて、リアルにハッキリと駅のホームのような映像が見えた!
わお!と思って、眼を開けたら、日常のカーテンのある風景。
サードアイ活性化かな。
高校生の頃にも、似たようなことあったけど、それよりリアルだった。
よく考えたら、昨年も今年も度々あったな。
けど、今回のはスゴくリアルだったんだ。
そんな時、少しは不思議なことについての知識を持っていても役に立つかもね。慌てないように。
今後、そういう人が増えてゆくだろうし。
さて、日曜日に本を読んだ。
「あの世に聞いた、この世の仕組み」だ。
特に今まで読む気もなかったが、先日、急に読む気になって買って、4時間くらいで読み終えた。
あー、なるほど。すごく復習になったよ。
読ませたのはハイヤーかガイドの采配だろうね♪
一部をツイートしたので、以下にも貼ります。
先人たちが残してくれた解答の数々。その解答が、なぜその解答になりえたのかという経緯も理解せず、ただ「その解答らしいのだ」「それが正解らしいのだ」 と丸暗記し、自分の答案用紙にそのまま記入するのは勉強ではない。単なるカンニングだ。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
「勉強したつもり」という思い込みによって、本当のことを知ろうとしなくなるから、自分は知っているのだと思い込んでしまうから、自分にとって悪いんだ。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
その本質を理解してないのに、「だってこれが答えなのだから」と思い込んでいると、ちょっと問題が異なっただけで、自力で答えを導き出せず、パニックになる。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
名言・格言探しもいいけれど、その答えを暗記する方法より、その答えが、なぜその答えになったのかを考えろ。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
あとでお風呂で「ガイドの言葉すらも鵜呑みにすることはないんだよ」という言葉が浮かぶ。
ガイドを信じるな!ということではなく、「体験から学ばないと真に理解したとは言えないから、腑に落ちないことは受け容れなくてもいい。ちゃんと体験するようになっているからね。」ということだ。
ま、そりゃ、そうだよね〜♪
同じ方向性の課題があっても、目線が高くなっているから、同じ答えを選択したとしても、その理由は少し異なるのだ。
そうやって、またグルグルと成長してゆく。。。
スピリチュアルと関係なくても、ちゃんと学べてるよね。
同じようなことをスピ系の本でも言ってないかな?
かと言って、宇宙の法則を知って、飛躍的に体験のスピードが速まったのは事実だし、思ったことを現実創造したのも事実だ。環境は大きく変わった。
もの凄いサポートツールだ。
ま、もっとも本人次第だけどね。
鵜呑みにしないで、体験から自分の腑に落とすことが大事♪
人は皆、スピリチュアルな生き物であることに違いないが。
スピリチュアルな本やブログを読まなくても、ちゃんと学べる。
というか、本来の姿だ。
でも、サポートツールとしては良いよね。
使い方次第だね。
もちろん、サポートツールとしては、ヘミシンク、リモートビューイング、アカシック、タロット、瞑想etcもあるよね。
他にも色々だね。
あ!そうだ。
一昨日の朝方の出来事なのだが、ウトウトしている時に、夢と現実の狭間という言い方がシックリくるが、眼は閉じているが、額にスクリーンが開いて、リアルにハッキリと駅のホームのような映像が見えた!
わお!と思って、眼を開けたら、日常のカーテンのある風景。
サードアイ活性化かな。
高校生の頃にも、似たようなことあったけど、それよりリアルだった。
よく考えたら、昨年も今年も度々あったな。
けど、今回のはスゴくリアルだったんだ。
そんな時、少しは不思議なことについての知識を持っていても役に立つかもね。慌てないように。
今後、そういう人が増えてゆくだろうし。
さて、日曜日に本を読んだ。
「あの世に聞いた、この世の仕組み」だ。
特に今まで読む気もなかったが、先日、急に読む気になって買って、4時間くらいで読み終えた。
あー、なるほど。すごく復習になったよ。
読ませたのはハイヤーかガイドの采配だろうね♪
一部をツイートしたので、以下にも貼ります。
先人たちが残してくれた解答の数々。その解答が、なぜその解答になりえたのかという経緯も理解せず、ただ「その解答らしいのだ」「それが正解らしいのだ」 と丸暗記し、自分の答案用紙にそのまま記入するのは勉強ではない。単なるカンニングだ。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
「勉強したつもり」という思い込みによって、本当のことを知ろうとしなくなるから、自分は知っているのだと思い込んでしまうから、自分にとって悪いんだ。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
その本質を理解してないのに、「だってこれが答えなのだから」と思い込んでいると、ちょっと問題が異なっただけで、自力で答えを導き出せず、パニックになる。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
名言・格言探しもいいけれど、その答えを暗記する方法より、その答えが、なぜその答えになったのかを考えろ。(あの世に聞いた、この世の仕組み/雲黒斎)
あとでお風呂で「ガイドの言葉すらも鵜呑みにすることはないんだよ」という言葉が浮かぶ。
ガイドを信じるな!ということではなく、「体験から学ばないと真に理解したとは言えないから、腑に落ちないことは受け容れなくてもいい。ちゃんと体験するようになっているからね。」ということだ。
ま、そりゃ、そうだよね〜♪
2012年10月21日日曜日
「体験のバランス」について
そして、もう一つ、昨日の記事での朝風呂でのハイヤーセルフとの自問自答があります。
カルマというと色んな意味がありそうで語弊もあるので、その言葉は使いません。
「体験のバランス」について、自問自答です。
本当に今この現実を自分で創造したのか?と思うようなこともあります。
多くは気づかずに創造してしまっています。
もちろんハイヤーセルフ目線では全て自分で決めているイベントに過ぎませんが。
オーバーセルフ目線といったほうが僕には腑に落ちます。
(自分のオーバーセルフは全ての自分の転生を観察しています。
このへん、話し出すと長くなるので話しませんが。。。)
話を戻します。
本当に今この現実を自分で創造したのか?と思うようなこともあります。
多くの人は気づかずに創造してしまっています。
もちろん、目標に対するプロセスに過ぎない場合もあります。
そんな中で、例えば! 前を歩いてる男性がいます。
その男性は「歩きタバコ」をしています。
僕が普通に歩いてたら、角から急に出てきて、僕のすぐ前を歩くという状況になったのです。避けようがありませんでした。
当然、僕にタバコの煙やら灰やらが襲いかかります。
挙句の果て、その男性はすぐそこのビルに勤めてる人で、火のついたタバコを道路にそのまま投げ捨て、ビルの中に消えていきました。
僕は唖然としました。
しかも、家に帰ると、服にタバコの灰が!
あ、これ、例えば!って言いましたが実話でした(笑)。
後日、また別の男性でしたが同じ場所で同じことが起こり、やはり同じビルに消えていきました。。。
1年以上前の出来事です。
それ以降、こういう出来事は無いかも。。。
僕も3年くらい前までタバコを吸ってました。
確かに「歩きタバコ」もしました。
だから、今度は「体験のバランス」をとるために、「歩きタバコ」をされる体験をしたのです。
ありがとうございます。 m(_ _)m
火のついたタバコを投げ捨てたりはしてないと思いますが、、、覚えてないだけかも知れませんね。。。
双方の体験をして学ぶということですね。
言い換えれば、「光」も「闇」も学ぶわけです。
ただ、この「体験のバランス」は今この現世だけのバランスではありません。
オーバーセルフ目線での「体験のバランス」です。
すごく簡単に言えば、前世で悪いことばかりやった人は、今世(現世)で善いことばかりやる人を体験します。
前世で殺された人は、今世(現世)で殺す側を体験します。
これが「体験のバランス」です。
そうなると、じゃあ、今の世の中も「体験のバランス」が現象化されたものとも言えるのか?
そういうことになるね。
でも、これもやはり目線によるのだと思う。
自分の目の前に広がる現実は、すべて自分で創っているのだから。
冷たくなれ!とか思いやりをなくせ!ということでは無い。
「今」をしっかりキチンと生きましょう!ってことですね!!
「じゃあ、犯罪を犯しても良いんだ!これはバランスなんだ!」ということにはなりませんからね。
それが「体験のバランス」によるものかどうかなんて、分からないですよね?
余計なカルマを生み出すだけです!(あ、使わないと言ってた言葉なのに、使ってしまった。)
では、「カルマを生み出さないために、〇〇しない」と考える人もいるかも知れませんが、これは本末転倒ですよね?
確かに考え方としては、その通りなんですが、そこが目標ではないはずですし、真に生きているとは思えません。
例えば、
「カルマを生み出さないために、殺人しない」
ではなく、
「命を大切にしたいから、殺人しない」
ですよね。
では、また!
カルマというと色んな意味がありそうで語弊もあるので、その言葉は使いません。
「体験のバランス」について、自問自答です。
本当に今この現実を自分で創造したのか?と思うようなこともあります。
多くは気づかずに創造してしまっています。
もちろんハイヤーセルフ目線では全て自分で決めているイベントに過ぎませんが。
オーバーセルフ目線といったほうが僕には腑に落ちます。
(自分のオーバーセルフは全ての自分の転生を観察しています。
このへん、話し出すと長くなるので話しませんが。。。)
話を戻します。
本当に今この現実を自分で創造したのか?と思うようなこともあります。
多くの人は気づかずに創造してしまっています。
もちろん、目標に対するプロセスに過ぎない場合もあります。
そんな中で、例えば! 前を歩いてる男性がいます。
その男性は「歩きタバコ」をしています。
僕が普通に歩いてたら、角から急に出てきて、僕のすぐ前を歩くという状況になったのです。避けようがありませんでした。
当然、僕にタバコの煙やら灰やらが襲いかかります。
挙句の果て、その男性はすぐそこのビルに勤めてる人で、火のついたタバコを道路にそのまま投げ捨て、ビルの中に消えていきました。
僕は唖然としました。
しかも、家に帰ると、服にタバコの灰が!
あ、これ、例えば!って言いましたが実話でした(笑)。
後日、また別の男性でしたが同じ場所で同じことが起こり、やはり同じビルに消えていきました。。。
1年以上前の出来事です。
それ以降、こういう出来事は無いかも。。。
僕も3年くらい前までタバコを吸ってました。
確かに「歩きタバコ」もしました。
だから、今度は「体験のバランス」をとるために、「歩きタバコ」をされる体験をしたのです。
ありがとうございます。 m(_ _)m
火のついたタバコを投げ捨てたりはしてないと思いますが、、、覚えてないだけかも知れませんね。。。
双方の体験をして学ぶということですね。
言い換えれば、「光」も「闇」も学ぶわけです。
ただ、この「体験のバランス」は今この現世だけのバランスではありません。
オーバーセルフ目線での「体験のバランス」です。
すごく簡単に言えば、前世で悪いことばかりやった人は、今世(現世)で善いことばかりやる人を体験します。
前世で殺された人は、今世(現世)で殺す側を体験します。
これが「体験のバランス」です。
そうなると、じゃあ、今の世の中も「体験のバランス」が現象化されたものとも言えるのか?
そういうことになるね。
でも、これもやはり目線によるのだと思う。
自分の目の前に広がる現実は、すべて自分で創っているのだから。
冷たくなれ!とか思いやりをなくせ!ということでは無い。
「今」をしっかりキチンと生きましょう!ってことですね!!
「じゃあ、犯罪を犯しても良いんだ!これはバランスなんだ!」ということにはなりませんからね。
それが「体験のバランス」によるものかどうかなんて、分からないですよね?
余計なカルマを生み出すだけです!(あ、使わないと言ってた言葉なのに、使ってしまった。)
では、「カルマを生み出さないために、〇〇しない」と考える人もいるかも知れませんが、これは本末転倒ですよね?
確かに考え方としては、その通りなんですが、そこが目標ではないはずですし、真に生きているとは思えません。
例えば、
「カルマを生み出さないために、殺人しない」
ではなく、
「命を大切にしたいから、殺人しない」
ですよね。
では、また!
2012年10月20日土曜日
「嫌い」について
「嫌い」について。
要は体験に過ぎないのですから(とは言っても体験こそ全てですが)、「好き」「嫌い」があっても良いと思います。
でも、「好き」「嫌い」の判断はどこからくるのでしょう?
もちろん、価値観ですよね。
ですから、価値観から判断(ジャッジメント、判決、決めつけ)をした結果です。
それは個人の物差しに過ぎず、言い換えれば色眼鏡で決めつけてるわけです。
価値観による決めつけ。。。
それは戦争の種です。
結局は、今この現実を自分で創っていることがよく分かりますよね。
「好き」「嫌い」がいけないということではなく、それに伴う責任は個人個人にあるということですね。
自由意思だけ要求していて責任放棄しては、そういう現実を投影することになりますから。
なんか、知らず知らずにそういう状態を招いてる人が多いように思えてしまいます。
もっとも、そう思ってしまった時点で、そういう人が多いという現実を自らも創ってしまっているという事実を僕も認識します。
でも、気づいたら、受け入れたうえで手放すことが出来ます。
内包しつつ超えるという言い方が合ってるかな?
気づくこと、大事ですね!
では、僕に「好き」「嫌い」は無いのか?
「好き」「嫌い」というと違和感を感じるんです。
これを「合う」「合わない」という言葉に置き換えれば、シックリきますね。
合わない人はいるけど、嫌いな人はいないということですね。
「好き」「嫌い」も二元性ですよね。
「好き」「嫌い」
「良い」「悪い」
「光」「闇」
ただ、「好き」「嫌い」を「合う」「合わない」というイメージでいる人もいるでしょうね。
じゃあ、「合う」「合わない」は二元性なのか?と考えますと、それは違う気がします。単純に性質の違いだからです。「水」「油」のように。
「光」「闇」も性質が違うだけじゃないのか?と思う人もいるでしょう。
「光」「闇」は性質が同じで、方向が違うだけのものです。
「合う」「合わない」という言葉だけを捉えると、同じ性質のように見えますが、性質が違うから「合う」「合わない」という感覚を持つわけです。
戦争の種となる「価値観による決めつけ」を普段からしているから、戦争が起きる現実を創造してしまっているので、お気を付け下さいということを、言いたかったのだと思う。
これは、昨日の朝風呂でのハイヤーセルフとの自問自答です。
しつこいようですが、どっちが良いとか悪いとかということではないので。
以下はツイッターにも書いたんですけど、関連するのでコピペします。
自分が創っている現実を他者に責任転嫁して、他者を否定・排除し、言動と行動が矛盾してることに気づかない人もいるかもね。
自身で現象化(創造)しているのに。
そして、そんな周波数の仲間と集まりだし、互いに正当化して安心する。
誰かのことを書いたわけではなく、ただ、そういう可能性のある人を稀にお見受けしてます。
いいことを言ってたり、いいことをリツイートしてたりするんですが、普段のツイートが矛盾している。。。
仲の良い人達では無く、殆ど絡んでいない方々。
ちゃんと理解してないから矛盾しちゃうんでしょうね。
勘違いなら良いんですけどね。
でも、本人にしか分からないでしょうしね。
ま、本人にも分からないかもね。分からないから、そうしてるんだから。
気づくことが大事。
どうやって気づくんでしょうね?
他人から言われても、なかなか消化しきれない。理解出来ない。
だから、「導かれるか」「促されるか」されて、体験から気づくのがいいでしょうね。
要は体験に過ぎないのですから(とは言っても体験こそ全てですが)、「好き」「嫌い」があっても良いと思います。
でも、「好き」「嫌い」の判断はどこからくるのでしょう?
もちろん、価値観ですよね。
ですから、価値観から判断(ジャッジメント、判決、決めつけ)をした結果です。
それは個人の物差しに過ぎず、言い換えれば色眼鏡で決めつけてるわけです。
価値観による決めつけ。。。
それは戦争の種です。
結局は、今この現実を自分で創っていることがよく分かりますよね。
「好き」「嫌い」がいけないということではなく、それに伴う責任は個人個人にあるということですね。
自由意思だけ要求していて責任放棄しては、そういう現実を投影することになりますから。
なんか、知らず知らずにそういう状態を招いてる人が多いように思えてしまいます。
もっとも、そう思ってしまった時点で、そういう人が多いという現実を自らも創ってしまっているという事実を僕も認識します。
でも、気づいたら、受け入れたうえで手放すことが出来ます。
内包しつつ超えるという言い方が合ってるかな?
気づくこと、大事ですね!
では、僕に「好き」「嫌い」は無いのか?
「好き」「嫌い」というと違和感を感じるんです。
これを「合う」「合わない」という言葉に置き換えれば、シックリきますね。
合わない人はいるけど、嫌いな人はいないということですね。
「好き」「嫌い」も二元性ですよね。
「好き」「嫌い」
「良い」「悪い」
「光」「闇」
ただ、「好き」「嫌い」を「合う」「合わない」というイメージでいる人もいるでしょうね。
じゃあ、「合う」「合わない」は二元性なのか?と考えますと、それは違う気がします。単純に性質の違いだからです。「水」「油」のように。
「光」「闇」も性質が違うだけじゃないのか?と思う人もいるでしょう。
「光」「闇」は性質が同じで、方向が違うだけのものです。
「合う」「合わない」という言葉だけを捉えると、同じ性質のように見えますが、性質が違うから「合う」「合わない」という感覚を持つわけです。
戦争の種となる「価値観による決めつけ」を普段からしているから、戦争が起きる現実を創造してしまっているので、お気を付け下さいということを、言いたかったのだと思う。
これは、昨日の朝風呂でのハイヤーセルフとの自問自答です。
しつこいようですが、どっちが良いとか悪いとかということではないので。
以下はツイッターにも書いたんですけど、関連するのでコピペします。
自分が創っている現実を他者に責任転嫁して、他者を否定・排除し、言動と行動が矛盾してることに気づかない人もいるかもね。
自身で現象化(創造)しているのに。
そして、そんな周波数の仲間と集まりだし、互いに正当化して安心する。
誰かのことを書いたわけではなく、ただ、そういう可能性のある人を稀にお見受けしてます。
いいことを言ってたり、いいことをリツイートしてたりするんですが、普段のツイートが矛盾している。。。
仲の良い人達では無く、殆ど絡んでいない方々。
ちゃんと理解してないから矛盾しちゃうんでしょうね。
勘違いなら良いんですけどね。
でも、本人にしか分からないでしょうしね。
ま、本人にも分からないかもね。分からないから、そうしてるんだから。
気づくことが大事。
どうやって気づくんでしょうね?
他人から言われても、なかなか消化しきれない。理解出来ない。
だから、「導かれるか」「促されるか」されて、体験から気づくのがいいでしょうね。
その一方で、僕は僕で"気づき"がありましたので、僕が学ぶために現象化しただけなのかも知れませんね!
2012年10月19日金曜日
「赦します」「赦しません」
日本語の「赦します」「赦しません」ってのは結局は「判断」によるものではないだろうか?
あえて言えば「赦します」だけでいい。いや、「赦してます」がいいかも。
確かに「赦しません」としか言えない事件もあるだろうけど、心情的には永遠に赦せないのだろうけど、永遠に対立したままでいいのだろうか?
ここに葛藤があるんだろうね。
でも赦そう。
ね!
僕の先祖は武将で、戦国時代の戦で命を落とした先祖もいる。敵方の武将も分かってる。
策略により大変な目にあった先祖もいる。
江戸時代に入ってから、突如乱入してきた男に、刺殺された先祖もいる。その時、その長男の嫁も怪我をした。怨恨があったのかも知れないが。
では、子孫として赦していないかと問われれば、赦している。
当時の状況も伝わる範囲内でしか分からないし、遠隔透視でターゲットにアクセスして、分かることもあるけど、どちらにしても、赦さない意味が分からない。
「赦さない」ってのも判断(決めつけ)だからね。
時間はかかることもあるかも知れないけど、永遠に赦さないとは思わないだろうな。
あえて言えば「赦します」だけでいい。いや、「赦してます」がいいかも。
確かに「赦しません」としか言えない事件もあるだろうけど、心情的には永遠に赦せないのだろうけど、永遠に対立したままでいいのだろうか?
ここに葛藤があるんだろうね。
でも赦そう。
ね!
僕の先祖は武将で、戦国時代の戦で命を落とした先祖もいる。敵方の武将も分かってる。
策略により大変な目にあった先祖もいる。
江戸時代に入ってから、突如乱入してきた男に、刺殺された先祖もいる。その時、その長男の嫁も怪我をした。怨恨があったのかも知れないが。
では、子孫として赦していないかと問われれば、赦している。
当時の状況も伝わる範囲内でしか分からないし、遠隔透視でターゲットにアクセスして、分かることもあるけど、どちらにしても、赦さない意味が分からない。
「赦さない」ってのも判断(決めつけ)だからね。
時間はかかることもあるかも知れないけど、永遠に赦さないとは思わないだろうな。
2012年10月14日日曜日
地震雲とか、新月とか
なんか、昨日、筋状の雲が千葉〜東京〜山梨に出てましたね。
これについて、ツイッターでは地震雲じゃないか!?と過剰反応が多かった〜。
確かに地球の電磁波が影響を及ぼしているんだろうけど、僕が思うに、こんな雲、今までも飽きるほど見ている。
でも、何も起きていない。
どういう意味付けをするかによって、進むタイムラインが変わってくるんだと思うよ。
だから、あまりネガティブな意味付けはしないほうが良いかもね。
もっとも、そういう体験をしたい人は別だけど。
前回、ブログにも書いてたが、1週間前の土曜の夜、蓼科の女神湖畔のホテルにいた僕は夢を見た。
湯川れい子さんが出て来て、携帯に保存してある2つの秘蔵映像を見せてくれた。
1つは「肩こり改善体操」、もう1つは「地震雲物語」だ。
これは、どっちを選択しますか?ってことだと思うね。
もちろん僕は前者を選択しますよ♪
その一方で、昨日のお昼頃はこんな感じ♪
祝福〜って感じだよね!
今朝、整体に行こうと外に出て、タクシーで行っちゃおうかなーと思った途端、普段は余りタクシーが通らない一歩通行の道路に、スッとタクシーが現れた!
もちろん空車♪
やべっ!創造しちゃったよ。いいよ、いいよ、電車で行くからっ!
何気なく思ったことは、純粋だから、簡単に現象化しちゃうみたい。
話は変わりますが、今日の21時頃には新月ですね。
※15日(月)が新月でした。
※15日(月)が新月でした。
新月のゾーンに見る夢には、注意を払う必要があります。(中略)新月のゾーンとは新月の前後二日間を含めた約三日間をさします。この間に見る夢は、個人的な夢というよりは、人類の集合意識から配信される情報にアクセスしやすい傾向にあります。
新月のゾーンでは、集合意識はシーンと静まり返り、真夜中の森の湖のような静けさにつつまれていますので、ノイズが入りにくく、正確な情報をダウンロードできるのですよ。
満月の日は、集合意識がざわざわしていて騒がしく、自分のものではない他者の夢を拾ってしまうことが多々あるでしょう。満月の日に見る夢は、感謝を持って手放してゆく、必要な人に渡す、ということが重要です。
(宇宙の羅針盤<上>/辻麻里子)
昨晩の夢はどうでしたか?
僕は「思い込み(決めつけ)による嫉妬」をする人の夢を見ました。
その人は自分本位なのですが、自分が自分本位だということを理解していない。
愛が足りないと言いつつ、本人こそが愛の足りない考え方をしている。
気づいていない。
「でも、愛は十分足りてるんだ。そこを分かってくれと言いたいが、全ては自分の選択でしかなく、その責任は本人にある。分かるかな?自分で愛の足りない世界を創ってるんだよ。」
と僕は説明するのだが。。。
うん、きっと気づくさ♪
大丈夫!!
一昨日の朝方の夢は、大洪水の夢でした。
僕は2階にいたのですが、2階の窓まで水位が上がってきてます。
もし、集合意識からのダウンロードだとしたら、人々の心の中に大洪水への恐れがあるのでしょうね。
確かに今年は各国で起きてますから、 そう思うのは理解出来ますが、そういうタイムラインは選択しないほうが良いかもね。
もっとも、そういう体験をしたい人は別だけど。
以上〜♪
これ買うた♪
これ買うた♪
2012年10月9日火曜日
また旅(後編) 蓼科
昨晩見た夢は、カバンをどこかに置き忘れる夢でした。
現実に創造(現象化)しないように注意しよっと!
朝起きた後に、目を瞑り、、、見えたビジョンが2つあります。
「観客がたくさん。真ん中の制服姿のOLがカワイイ。
みんな笑ってる。それだけの映像。だけど、みんなが笑顔だったのが印象的。」
弥栄だね!!
「僕の車のボンネットの水たまりに、蜂が2匹やってきた。水を飲んでる。
それだけ。」
88だね!!
88と言えば辻麻里子さん。。。
「……ねえ、G。このゲート、どこかで見たことあるような気がするけれど……四つ葉のクローバーみたいだね」
「いかにも。このゲートは、数字の8を二つ組み合わせた、四つ葉のクローバーの形をしているのがわかるだろう。ミクロコスモスから、マクロコスモスに至るまで、この8の字の軌道を描いている。われわれの銀河の扉は、『スターゲート88』と呼ばれているのだ。
88という数字は、われわれの銀河の識別コードであり、88は故郷の帰還をあらわす角度でもある。きみにとっては、太陽の国を表す数字ともいえるだろう。
幼い獅子よ、この先、何度生まれ変わっても、88を心に深く刻んでおいてくれたまえ」
『6と7の架け橋』辻麻里子 著
エンジェル・ナンバー的には以下です。
88:
大いなる豊かさはあなたのものです。豊かさはいつにもましてあなたに流れています。感謝の気持ちを持ち、導かれたと感じたなら、そのスピリチュアルな流れを他の人々に伝えていくようにしてください。
そういや、旅行中、1台だけ気にとめた車があって、その車が動き出した時に偶然ナンバーも見えたのですが、8888でした。
あまり車のナンバーを注視してないので、たまたま視界に入ったのがコレというのはメッセージ性を感じてしまいますね!
888:
宇宙は豊かで寛容です。あなたはそのつきせぬスピリチュアルな流れを注いでもらう方法を学びました。大きな経済的成功は今もこれからも、あなたのものです。
※4桁だと、プラス「今、あなたに経済的な豊かさが向かってきています。」。
さて、蓼科旅行の後編ですが、真面目に書くと長くなるので、画像中心に抜粋します。
女神湖。蓼科山の女神の流した涙で出来た湖。
女神湖の女神像です~♪
鳴石。5世紀頃の祭祀遺跡。
白樺湖。
横谷観音。
横谷渓谷。横谷観音からの景色。
横谷渓谷。
横谷渓谷。王滝。マイナスイオン25000だそうです。
20分くらい歩いたかな。もう戻る~。
ホントは見どころがたくさんあります。
登山!に近い装備じゃないと大変かもね。
前夜に大雨降ってたから滑りやすいし。
ここまで基本的に下り坂。。。
上るのが大変。。。
そうだ!横谷観音までテレポートしよう!
この前の晩に見た夢の中に、皆が独立個人として働いてるシーンがあって、隣に座ってる湯川さん(かなり姉さん♪)を手伝ってあげたら、右ひざをマッサージしてくれた。
確かに右ひざが少し調子悪い。だから無理しません♪
※話は変わるが、その際に、湯川さんは携帯に保存してある2つの秘蔵映像を見せてくれた。1つは「肩こり改善体操」、もう1つは「地震雲物語」だ。
横谷観音の空。
テレポートは出来ませんでしたが、「もうちょい、もうちょい」と思いながら上ると、意外に何とかなるもんだな。
もしかしたら、微妙にテレポートしたんじゃないかと思うくらい、到着するのが速く感じられた。。。
枝をくぐって通過した場所。。。帰りは通っていないような。。。気のせいかな?
横谷観音の空。落ち葉が舞ってる。雲の形もなんだかスゴい。
御射鹿池(みしゃかいけ)。
諏訪大社のご神事に関する地名が付いてるが、ここは農業用池。しかし、鏡のような湖面が人気。強酸性らしい。
坪庭。北八ヶ岳ロープウエイの山頂駅付近。
女神湖。ゴンドラリフトに乗って、蓼科山の七合目から。
御泉水自然園。
御柱。
またたび。
女神湖。3日目は天気がいい!
蓼科山を見つめる女神像。天気で女神も喜んでる?
景色。。。
尖石遺跡の一部。
意外に若い女性が見に来てましたね。
2人組の女子を2グループすれ違った。
縄文ガール?
尖石。尖石遺跡。
尖石遺跡。
移動途中の風景。
豊穣の郷!?
「空 豊穣の狩人」を思い浮かべた。やはり呼ばれてた?
八千穂高原自然園。
北沢川の大石棒。
縄文時代中期の遺跡。4500年前。
「今から四千数百年前(縄文時代中期)眼前に広がる南台地に生活していた人々が、動植物の豊穣と人間の甦りを願っての信仰のシンボルとして、豊かに湧きあがる泉のほとりに建立したものと思われる。なおこの石棒は、日本最大のものとして知られている。
(石棒)二・二三メートル、溶結凝灰岩(佐久石)
(石柱)柱状節理流文岩」
触ってみたが、とても力強い。何かメッセージは無いか聞くと、「縄文人の心の復興(ルネッサンス)」というイメージが浮かぶ。「古い文化を捨てるのではなく、うまく融合させて、そこを超えろ!」と。内包しつつ超えろということかな。
以上〜♪
2012年10月8日月曜日
また旅(前編) 蓼科
また旅でした~♪
今回は長野県の蓼科です!
旅をして思うことは、「自分がどれだけ自分の現実を創造出来るか」ということです。
旅の体験自体は良いも悪いもない。
0点でも100点でもない。
単なる体験です。
でも、どれだけ創造出来たか?というポイントがあります。
例えば、天気!
青空。夜は星空。そんなのを創造します。
でも、現象化出来たのは、曇り空でした。
初日に夜は雨降ってましたね。
外出する時は止んでるので、そういう部分での創造は出来ている。
前回の那須もそうでしたが、外を歩いてる時は雨は止んでました。
今回は初日の夜に降ってただけなので、創造の度合いは増したかなと。
そこで、色んなポイントを確認しますと、3割方は創造出来てますね。
「あー、そうきたかー!でも少し違うんだよなー。」
っていうのが何度かありました。
これは僕の観念が邪魔するんでしょうね。だからコレが精一杯だったんでしょう。
次回はもっと創造します!!
普段の生活の中でも、自分が思うように創造出来てる割合が増えてませんか?
自宅に戻って、PC立ち上げますと、メールが222件!
「【222】 あなたが新たに植えたアイデアが現実になるよう育ち始めています。水と栄養をやり続けること。そうすればじきに、それは土を突き抜けて育ち、現実化しているという証拠を見ることができるでしょう。言い換えるなら、奇跡が起こる5分前にそれを止めてはいけません。それが実現しているのが、じきにあなたにもはっきりと眼に見えてきます。ですからそのまま頑張り続けてください。肯定的な思考を持ち続け、アファーメーションを言い続けビジュアライゼーションを続けてください。」
ラジャー!!
写真は次回UPします。
FACEBOOKにはUP済み♪
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.427145624015313.106321.100001596384921&type=1
動画だけ貼りますね。予告編かな。
今回は長野県の蓼科です!
旅をして思うことは、「自分がどれだけ自分の現実を創造出来るか」ということです。
旅の体験自体は良いも悪いもない。
0点でも100点でもない。
単なる体験です。
でも、どれだけ創造出来たか?というポイントがあります。
例えば、天気!
青空。夜は星空。そんなのを創造します。
でも、現象化出来たのは、曇り空でした。
初日に夜は雨降ってましたね。
外出する時は止んでるので、そういう部分での創造は出来ている。
前回の那須もそうでしたが、外を歩いてる時は雨は止んでました。
今回は初日の夜に降ってただけなので、創造の度合いは増したかなと。
そこで、色んなポイントを確認しますと、3割方は創造出来てますね。
「あー、そうきたかー!でも少し違うんだよなー。」
っていうのが何度かありました。
これは僕の観念が邪魔するんでしょうね。だからコレが精一杯だったんでしょう。
次回はもっと創造します!!
普段の生活の中でも、自分が思うように創造出来てる割合が増えてませんか?
自宅に戻って、PC立ち上げますと、メールが222件!
「【222】 あなたが新たに植えたアイデアが現実になるよう育ち始めています。水と栄養をやり続けること。そうすればじきに、それは土を突き抜けて育ち、現実化しているという証拠を見ることができるでしょう。言い換えるなら、奇跡が起こる5分前にそれを止めてはいけません。それが実現しているのが、じきにあなたにもはっきりと眼に見えてきます。ですからそのまま頑張り続けてください。肯定的な思考を持ち続け、アファーメーションを言い続けビジュアライゼーションを続けてください。」
ラジャー!!
写真は次回UPします。
FACEBOOKにはUP済み♪
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.427145624015313.106321.100001596384921&type=1
動画だけ貼りますね。予告編かな。
2012年10月4日木曜日
昨晩の夢。「勝手な思い込み(決めつけ)」
昨晩、瞑想してたら、「繋がった!」と透き通るような男性の声。
何が!?もしもーし?
それと関係してるかどうかは分かりませんが、昨晩見た夢です。
昨晩の夢。
どこかの都会の道路でデモをしてるようだ。
何に反対してるデモなのか不明。
すると、デモの後ろのほうから小型タンクローリーが突っ込んでくる。
デモする人達のいない道路側だから誰も怪我はしていないが、小型タンクローリーはドリフトしながら、片側2車線を塞ぐようにSTOPする。
ここは危ないから離れたほうがいいという予感。。。
ちょうど、パトカーと警官2人もいる場所。
出て来た運転手は何やら警官に文句を言ってる。
そして誰かが小型タンクローリーの窓を割った。
僕は何故か他の人からバットを手渡された。短めのバット。
ん?なにこれ?あ!?これって、、、、まずいんじゃ。。。
そんな夢。
朝起きてから、この夢にフォーカスしますと、データが降りてきました。
この夢自体がもらった情報(データ)だった感じです。
ヘミシンクでいうところの「ロート」ですね。
この短めのバットというのが、真実と異なる状況証拠となってしまうという意味合いのようです。誰が見ても、そう思うでしょうけど(笑)。
「状況証拠だけで勝手な思い込み(決めつけ)をして冤罪を引き起こす。」
これは世間一般的に言われる冤罪もそうですけど、僕らの生活にも密接に関わってきます。
ゲリー・ボーネルさんが言うところの「ジャッジメント」。
葛藤を手放すためにはジャッジメントをしないことだと、よく言ってるアレですね。
ホントにその通りだと思います。
「ジャッジメント」は日本語では「判断」ですが、「判断」だと意味合いとしては弱い気がします。
ここは「判決」と捉えたほうが良いように思います。
「裁き」「決めつけ」でもいいかも知れません。
人や物事に対して、「決めつけ」をするわけですね。
「決めつけ」だから、それは変わらないわけです。最終判決ですから。
でも、人も物事も変化しますし、「決めつけ」など愚の骨頂ですし、その「決めつけ」自体が一つの側面しか見ていないのに「決めつけ」てしまうわけです。
「いやいや、多くの側面を見て判断して言ってるんですよ!」
と言う人もいるかもしれない。
例えば、あなたにとってのAさんの「多くの側面」というのは、Aさんにとってはほんの一部でしか無いのです。
Aさんのことを一番よく分かってるのは、Aさんです。
心の歪みが無ければ。
エゴによる詭弁でなければね。
(エゴによる詭弁が多かったりするのですが、その話をしだすと話が脱線するので触れません。「決めつけ(判決)」とは関係ないので。)
別の例えをします。
ツイッターでAさんのツイートを見たあなたは、Aさんに対して「決めつけ(判決)」をして、自身の考えを押し付ける。あーしろ、こーしろと。
でも、Aさんにしてみれば、そんなことはもうやってることなのです。
いちいち全ての行動をツイートしてる人なんていません。せいぜい1割以下でしょう。
その1割を見て「決めつけ(判決)」をしているわけです。浅はかとしか言いようがありません。
残りの9割の中で、Aさんはちゃんとやっているんです。
ちゃんとやっていない場合もあるかも知れませんが、だとしても、考えを押し付けて良いことにはなりません。
気づくように促す方法をとるのが賢い選択でしょう。
僕はそれを3年前に経験から学びました。
ブログにも記事UPしてますが、見つけた!
2010年2月23日の記事だ!コピペ♪
「教えても良いが、教える必要はない。それぞれの成長に合った経験と学びがある。それは人から教えられるものではなく、自分で学ぶことだ。どのみち、教わっても理解しないだろうから無意味だ。いつかは『あー。あの時、こう言われたのは、こういうことだったのか。』と気付くだろうがね。教えることが彼らの学びの邪魔になるかって? 理解されないんだから邪魔にさえならないよ。すぐ忘れるだろう。だから教えても良いと言ってる。学びの邪魔になるようなレベルまで達していたら、その時は 教えないことこそ愛だね。君の言ってる後輩達はまだまだ若い。今はタイミングではない。時機が来たら、向こうから質問されるよ。その時に導いてあげたら良い。でも答えを教えるのではなく、自ら気付くように導いてあげるんだよ。そんなことは君も分かってるはずだ。」
要は、新入社員に対しての教育の話になるのですが、ストレートに話しても彼が体験したわけではないので、真の理解を得られないわけです。
そこで、僕は川沿いの道を歩きながら、答えを探しました。
すると、ハイヤーだかガイドだかと会話になりました。
結果的に、「促す方法」が良いという話になりました。
まあ、ケースバイケースなのかも知れないですけどね。
今年の7月25日の記事にもこう書いてますね。
誰かに「気づき」を与えるのはナンセンス。 何故なら教えてやれるようなものではなく、当の本人が経験の中で気づいてこそ、本質を理解して身に付くからだ。 上辺だけの「気づき」など何の意味も無い。
しかも、文字の場合は、受け取り手の状態や捉え方次第で、意味が変ってしまう不安定な要素もあります。
カンタンに言えば「勘違い」。
勘違いで判決されたら、いやだよね♪
中には、この記事を読んで、「自分のことか!?」と思い込む人もいるかも知れませんが、特定の誰かのことを書いてるわけじゃなく、「夢」からの情報をひも解いてるだけですから、思い込まないようにお願いします。
そういう人もいるかも知れませんが、それは本人にしか分かりませんから。
僕には分かりません。
実体験に基づいて話します。
あの人はダメな人だと決めつけたら、あなたの世界(宇宙)では、あの人はずっとダメな人として放映(現象化、創造)されます。
反面教師としては良い存在ではあるのですが、体験のバランス※をとるために、あなたは必ず「ダメな人だと決めつけられる」という体験をします。
まさにそういう体験をしてしまいました。
そういう体験をしたいなら、それでOKなんですが、あまり長引かせないほうが良いように思います。
だって、もっといろんな素敵な体験をしたいじゃないですか?
でしょ?
※体験のバランスについては、世に言う「カルマ」のことか?と思う方もいらっしゃるでしょう。「カルマ」は人によって捉え方が少し異なる気がします。だから誤解の無いようにその言葉は使いません。そもそも、「カルマ」は無いと思っています。単なる体験のバランスのことを「カルマ」と呼ぶのであれば、それはあるでしょう。また、体験のバランスは、オーバーセルフ目線での話なので、現世だけでバランスがとれるわけではありません。多分(笑)。
あと、話は変わりますが、本からの知識など無駄だと言う人もいます。
体験こそ全てだと。
もちろん、体験がなければ真に理解することは出来ません。
しかし、本を読んでから体感し「なるほど!」と思う場合もあれば、体感してから本を読んで「そうそう!」と腑に落ちる場合もありますから、良いと思います。
言い方を変えれば、予習、復習になるわけです。
なんでも鵜呑みにするのは良くないことでしょう。
でも、そんなこと誰でも分かってますよね?
大事なのはバランスです。
本ばかり読んで、個人の体験を疎かにするのは、どうかと思いますが。
僕はやっと「空(くう) 豊穣の狩人/Mana」を読み終わりました。
少しづつ読んでましたから、一か月以上かかっちゃいました~。
でも、腑に落ちることが多いですし、「瞬間、瞬間で創造している」ことを僕も体感しようと思ったら、ちゃんと体感したのが、凄い驚きでした。
前に書きましたよね?
あ、っていうか、これManaさんの2作目を読んだ時の体験だ(笑)。
時間の逆転現象のことです。
ちょっと過去記事が見当たらないので、書きます。
8月20日(月)の朝の出来事です。日記からコピペします。
朝、起きて時計を見ると6:07。まだ大丈夫と寝る。
また起きて時計は6:47。まだ大丈夫。
また起きて時計は6:45。!?
2分戻ってる!?
どんどん観念を取り払いましょう~♪
弥栄〜♪
っていうか、この記事、長過ぎ〜♪(笑)
何が!?もしもーし?
それと関係してるかどうかは分かりませんが、昨晩見た夢です。
昨晩の夢。
どこかの都会の道路でデモをしてるようだ。
何に反対してるデモなのか不明。
すると、デモの後ろのほうから小型タンクローリーが突っ込んでくる。
デモする人達のいない道路側だから誰も怪我はしていないが、小型タンクローリーはドリフトしながら、片側2車線を塞ぐようにSTOPする。
ここは危ないから離れたほうがいいという予感。。。
ちょうど、パトカーと警官2人もいる場所。
出て来た運転手は何やら警官に文句を言ってる。
そして誰かが小型タンクローリーの窓を割った。
僕は何故か他の人からバットを手渡された。短めのバット。
ん?なにこれ?あ!?これって、、、、まずいんじゃ。。。
そんな夢。
朝起きてから、この夢にフォーカスしますと、データが降りてきました。
この夢自体がもらった情報(データ)だった感じです。
ヘミシンクでいうところの「ロート」ですね。
この短めのバットというのが、真実と異なる状況証拠となってしまうという意味合いのようです。誰が見ても、そう思うでしょうけど(笑)。
「状況証拠だけで勝手な思い込み(決めつけ)をして冤罪を引き起こす。」
これは世間一般的に言われる冤罪もそうですけど、僕らの生活にも密接に関わってきます。
ゲリー・ボーネルさんが言うところの「ジャッジメント」。
葛藤を手放すためにはジャッジメントをしないことだと、よく言ってるアレですね。
ホントにその通りだと思います。
「ジャッジメント」は日本語では「判断」ですが、「判断」だと意味合いとしては弱い気がします。
ここは「判決」と捉えたほうが良いように思います。
「裁き」「決めつけ」でもいいかも知れません。
人や物事に対して、「決めつけ」をするわけですね。
「決めつけ」だから、それは変わらないわけです。最終判決ですから。
でも、人も物事も変化しますし、「決めつけ」など愚の骨頂ですし、その「決めつけ」自体が一つの側面しか見ていないのに「決めつけ」てしまうわけです。
「いやいや、多くの側面を見て判断して言ってるんですよ!」
と言う人もいるかもしれない。
例えば、あなたにとってのAさんの「多くの側面」というのは、Aさんにとってはほんの一部でしか無いのです。
Aさんのことを一番よく分かってるのは、Aさんです。
心の歪みが無ければ。
エゴによる詭弁でなければね。
(エゴによる詭弁が多かったりするのですが、その話をしだすと話が脱線するので触れません。「決めつけ(判決)」とは関係ないので。)
別の例えをします。
ツイッターでAさんのツイートを見たあなたは、Aさんに対して「決めつけ(判決)」をして、自身の考えを押し付ける。あーしろ、こーしろと。
でも、Aさんにしてみれば、そんなことはもうやってることなのです。
いちいち全ての行動をツイートしてる人なんていません。せいぜい1割以下でしょう。
その1割を見て「決めつけ(判決)」をしているわけです。浅はかとしか言いようがありません。
残りの9割の中で、Aさんはちゃんとやっているんです。
ちゃんとやっていない場合もあるかも知れませんが、だとしても、考えを押し付けて良いことにはなりません。
気づくように促す方法をとるのが賢い選択でしょう。
僕はそれを3年前に経験から学びました。
ブログにも記事UPしてますが、見つけた!
2010年2月23日の記事だ!コピペ♪
「教えても良いが、教える必要はない。それぞれの成長に合った経験と学びがある。それは人から教えられるものではなく、自分で学ぶことだ。どのみち、教わっても理解しないだろうから無意味だ。いつかは『あー。あの時、こう言われたのは、こういうことだったのか。』と気付くだろうがね。教えることが彼らの学びの邪魔になるかって? 理解されないんだから邪魔にさえならないよ。すぐ忘れるだろう。だから教えても良いと言ってる。学びの邪魔になるようなレベルまで達していたら、その時は 教えないことこそ愛だね。君の言ってる後輩達はまだまだ若い。今はタイミングではない。時機が来たら、向こうから質問されるよ。その時に導いてあげたら良い。でも答えを教えるのではなく、自ら気付くように導いてあげるんだよ。そんなことは君も分かってるはずだ。」
要は、新入社員に対しての教育の話になるのですが、ストレートに話しても彼が体験したわけではないので、真の理解を得られないわけです。
そこで、僕は川沿いの道を歩きながら、答えを探しました。
すると、ハイヤーだかガイドだかと会話になりました。
結果的に、「促す方法」が良いという話になりました。
まあ、ケースバイケースなのかも知れないですけどね。
今年の7月25日の記事にもこう書いてますね。
誰かに「気づき」を与えるのはナンセンス。 何故なら教えてやれるようなものではなく、当の本人が経験の中で気づいてこそ、本質を理解して身に付くからだ。 上辺だけの「気づき」など何の意味も無い。
しかも、文字の場合は、受け取り手の状態や捉え方次第で、意味が変ってしまう不安定な要素もあります。
カンタンに言えば「勘違い」。
勘違いで判決されたら、いやだよね♪
中には、この記事を読んで、「自分のことか!?」と思い込む人もいるかも知れませんが、特定の誰かのことを書いてるわけじゃなく、「夢」からの情報をひも解いてるだけですから、思い込まないようにお願いします。
そういう人もいるかも知れませんが、それは本人にしか分かりませんから。
僕には分かりません。
実体験に基づいて話します。
あの人はダメな人だと決めつけたら、あなたの世界(宇宙)では、あの人はずっとダメな人として放映(現象化、創造)されます。
反面教師としては良い存在ではあるのですが、体験のバランス※をとるために、あなたは必ず「ダメな人だと決めつけられる」という体験をします。
まさにそういう体験をしてしまいました。
そういう体験をしたいなら、それでOKなんですが、あまり長引かせないほうが良いように思います。
だって、もっといろんな素敵な体験をしたいじゃないですか?
でしょ?
※体験のバランスについては、世に言う「カルマ」のことか?と思う方もいらっしゃるでしょう。「カルマ」は人によって捉え方が少し異なる気がします。だから誤解の無いようにその言葉は使いません。そもそも、「カルマ」は無いと思っています。単なる体験のバランスのことを「カルマ」と呼ぶのであれば、それはあるでしょう。また、体験のバランスは、オーバーセルフ目線での話なので、現世だけでバランスがとれるわけではありません。多分(笑)。
あと、話は変わりますが、本からの知識など無駄だと言う人もいます。
体験こそ全てだと。
もちろん、体験がなければ真に理解することは出来ません。
しかし、本を読んでから体感し「なるほど!」と思う場合もあれば、体感してから本を読んで「そうそう!」と腑に落ちる場合もありますから、良いと思います。
言い方を変えれば、予習、復習になるわけです。
なんでも鵜呑みにするのは良くないことでしょう。
でも、そんなこと誰でも分かってますよね?
大事なのはバランスです。
本ばかり読んで、個人の体験を疎かにするのは、どうかと思いますが。
僕はやっと「空(くう) 豊穣の狩人/Mana」を読み終わりました。
少しづつ読んでましたから、一か月以上かかっちゃいました~。
でも、腑に落ちることが多いですし、「瞬間、瞬間で創造している」ことを僕も体感しようと思ったら、ちゃんと体感したのが、凄い驚きでした。
前に書きましたよね?
あ、っていうか、これManaさんの2作目を読んだ時の体験だ(笑)。
時間の逆転現象のことです。
ちょっと過去記事が見当たらないので、書きます。
8月20日(月)の朝の出来事です。日記からコピペします。
朝、起きて時計を見ると6:07。まだ大丈夫と寝る。
また起きて時計は6:47。まだ大丈夫。
また起きて時計は6:45。!?
2分戻ってる!?
どんどん観念を取り払いましょう~♪
弥栄〜♪
っていうか、この記事、長過ぎ〜♪(笑)